菊池契月(読み)キクチケイゲツ

デジタル大辞泉 「菊池契月」の意味・読み・例文・類語

きくち‐けいげつ【菊池契月】

[1879~1955]日本画家長野の生まれ。旧姓は細野、本名、完爾。児玉果亭に学び、京都に出て菊池芳文師事円山四条派の写生風に大和絵手法を加えた古典的風趣の歴史人物画を描き、初期文展以来、京都画壇で指導的立場に立った。

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精選版 日本国語大辞典 「菊池契月」の意味・読み・例文・類語

きくち‐けいげつ【菊池契月】

  1. 日本画家。旧姓細野。本名完爾。長野県出身。菊池芳文の門にはいり、その娘と結婚。文展審査員、帝室技芸員などをつとめ、京都市立絵画専門学校教授・校長となる。芸術院会員代表作に「供灯」「立女」「南波照間(はいはてるま)」など。明治一二~昭和三〇年(一八七九‐一九五五

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20世紀日本人名事典 「菊池契月」の解説

菊池 契月
キクチ ケイゲツ

明治〜昭和期の日本画家 東京芸術大学教授。



生年
明治12(1879)年11月14日

没年
昭和30(1955)年9月9日

出生地
長野県下高井郡中野村(現・中野市)

本名
菊地 完爾

旧姓(旧名)
細野

主な受賞名〔年〕
毎日美術賞(第1回),京都市名誉市民〔昭和29年〕

経歴
初め郷里の児玉果亭に南画を学び、明治29年京都に出て内海吉堂に学んだ後、菊池芳文に師事。31年の第4回新古美術品展覧会に「文珠」が1等になり、36年の第5回内国勧業博覧会で3等を受賞。39年芳文の女婿となった。40年第1回文展に「春暖」、第4回展に「供灯」、第6回展に「茄子」などを発表。大正7年帝展審査委員、京都市立絵画専門学校教授となる。11年に渡欧。14年帝国芸術院会員。同年菊池塾を主宰。昭和7年京都市立絵画専門学校並びに京都市立美術工芸学校校長。9年帝室技芸員、24年日本芸術院会員、25年京都市立美術大学名誉教授、27年東京芸術大学教授に就任。29年京都市名誉市民。大和絵の古典的画法を基礎に独自の画風を確立、歴史画、人物画に名作を残した。代表作に「青年像」(第1回毎日美術賞)「平和の群像」「原爆の子」「少女」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「菊池契月」の意味・わかりやすい解説

菊池契月 (きくちけいげつ)
生没年:1879-1955(明治12-昭和30)

日本画家。長野県中野市に生まれる。旧姓細野,本名完爾。はじめ児玉果亭に南画を学んだが,1896年京都に出て南画家の内海立堂に,ついで四条派の菊池芳文(1862-1918)に師事した。1906年芳文に認められて女婿となり菊池姓を名乗る。しだいに四条派を脱却し,大らかな師風の上に大和絵や漢画を加味して,秀麗な鉄線描の作品を描いた。とくに13年の文展に出品の鉄線描による《鉄漿蜻蛉》(東京国立近代美術館)で頭角を現した。22年渡欧,イタリア文芸復興期の絵画やエジプト美術を研究,画風にさらに華麗な色彩を加えた《立女》《南波照間》を発表し,34年に帝室技芸員となった。一方,京都市立絵画専門学校で教鞭をとる(のち校長)かたわら,菊池塾を主宰,門下に宇田荻邨らを出した。晩年は墨を主体にした線描の達意の上に,能の閑雅さを求めた《涅歯(はくろめ)》(東京国立近代美術館),《交歓》等を発表,清澄典雅な古典的品格を示した。子の一雄は彫刻家,隆志は日本画家である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊池契月」の意味・わかりやすい解説

菊池契月
きくちけいげつ
(1879―1955)

日本画家。長野県に生まれる。本名細野完爾(かんじ)。初め児玉果亭に師事したが、画家になることを家人に反対され、1896年(明治29)に出奔、京都に出て南画家内海吉堂に師事した。やがて師の計らいで四条派の菊池芳文(ほうぶん)に入門、芳文の長女アキと結婚してその家を嗣(つ)いだ。98年、新古美術品展に出品して受賞、1907年(明治40)の第1回文展では『春暖』が受賞した。以後文展に毎回出品して受賞を重ね、18年(大正7)に審査員になった。22年に渡欧、翌年帰国。25年に帝国美術院会員、34年(昭和9)には帝室技芸員になった。また1910年から36年まで京都市立絵画専門学校で後進の指導にあたり、校長も務めた。49年、日本芸術院会員。

 大和絵(やまとえ)の古典的な技法を基にしながら新しいくふうを加え、静穏ななかに浪漫(ろうまん)的な情趣を漂わせる作風は独特で、『供燈(ぐとう)』『鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)』『立女(りつじょ)』『南波照間(はいはてるま)』などがよく知られている。彫刻家菊池一雄は長男。

[原田 実]

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百科事典マイペディア 「菊池契月」の意味・わかりやすい解説

菊池契月【きくちけいげつ】

日本画家。旧姓細野,本名完爾。長野県生れ。初め南画を児玉果亭に学び,のち京都で菊池芳文に師事,その養子となった。四条派の写実的傾向に大和絵仏画浮世絵などの伝統的技法を融合して洗練された表現をみせる。代表作に《南波照間》《立女》などがある。京都で後進の育成にあたった。
→関連項目宇田荻邨

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊池契月」の意味・わかりやすい解説

菊池契月
きくちけいげつ

[生]1879.11.14. 長野,中野
[没]1955.9.9. 京都
日本画家。本名は完爾,旧姓は細野。京都に出て内海吉堂に師事,のち四条派の菊池芳文に学び,菊池家を継いだ。 1898年新古美術品展,1903年内国勧業博覧会で受賞。文展では第1回展以来連続入賞し審査員となる。 22~23年渡欧。帝室技芸員,帝国美術院会員,帝国芸術院会員,京都市立絵画専門学校教授,同校校長を歴任。気品に富む人物画,歴史画を得意とした。主要作品『名士弔葬』 (1908,東京国立近代美術館) ,『赤童子』 (26,京都市美術館) ,『南波照間』 (28,同) ,『涅歯』 (33,東京国立近代美術館) ,『麦姫』 (37,同) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池契月」の解説

菊池契月 きくち-けいげつ

1879-1955 明治-昭和時代の日本画家。
明治12年11月14日生まれ。菊池一雄,隆志の父。菊池芳文(ほうぶん)の養子。文展で7回受賞。四条派に大和絵の技法もくわえた歴史画,人物画で知られる。昭和7年京都市立絵画専門学校長。芸術院会員。昭和30年9月9日死去。75歳。長野県出身。旧姓は細野。本名は完爾(かんじ)。作品に「供灯(ぐとう)」「鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)」。

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367日誕生日大事典 「菊池契月」の解説

菊池 契月 (きくち けいげつ)

生年月日:1879年11月14日
明治時代-昭和時代の日本画家。東京芸術大学教授;日本芸術院会員
1955年没

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