中国中部、湖北(こほく)省西部の地級市。5市轄区、3県、2自治県を管轄し、3県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口400万4000(2014)。長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))に沿い、三峡(さんきょう)の西陵峡の出口に位置する。西は巫山(ふざん)山脈を負い、東は江漢(こうかん)平原を望む。湖北、四川(しせん)両省を結ぶ長江水運の要地で、1988年には長江を横断して葛洲壩(かっしゅうは)ダムが建設された(出力271万キロワット)。焦柳線(焦作(しょうさく)―柳州(りゅうしゅう))、2012年開通の漢宜高速鉄道(武漢(ぶかん)―宜昌)が通じ、市街近郊には1996年開港の宜昌三峡空港がある。漢代に夷陵(いりょう)県を置き、明(みん)代に夷陵州治、清(しん)代に宜昌府治となり、東湖(とうこ)県と改称した。1912年宜昌県となり、1949年県治とその周辺地区に市制を施行した。
鉄鋼、機械、電子、化学、軽工業、建築材料などの工業が発達する。また四川省に入る咽喉(いんこう)を阨(やく)し、長江はここより上流は3000トン級の汽船しか遡航(そこう)できないため、長江水運の積替え港として商業活動が盛んであり、清末に芝罘(チーフ)条約により開港場とされた。葛洲壩ダムには閘門(こうもん)が設けられている。さらにやや上流の三斗坪(さんとうへい)には中国最大の三峡ダムが2009年に完成し、発電容量が飛躍的に増大したほか、水位の上昇により大型の船の遡航が可能となり、輸送力は大幅に増強された。市中北部の夷陵区は米、小麦、トウモロコシ、ワタ、ラッカセイ、茶、柑橘(かんきつ)類を産し、漢方の薬材も豊富である。
名勝・旧跡には白果樹滝、葛洲壩ダム、三国時代に行われた夷陵の戦いの古戦場などがある。
[河野通博・編集部 2017年8月21日]
中国,湖北省西部,長江(揚子江)の北岸に臨む都市。人口71万(2000)。2市,5県,2自治県を管轄する。鴉宜鉄道(鴉雀嶺~宜昌)で焦柳鉄道(焦作~柳州)に連結する。春秋戦国時代の楚の地である。漢代に夷陵県がおかれ,清代に東湖県,1912年に宜昌県に改められた。49年に県の市街区と近郊をもとに宜昌市が設置された。三峡の東口を占め,四川盆地に出入りする〈のどくび〉に当たっているため,昔から交通・軍事上の要衝として〈川(四川)・鄂(湖北)ののど〉と称せられる。三国時代,魏・蜀・呉はこの地をめぐって激しく抗争した。1876年(光緒2)烟台(芝罘(チーフー))条約により開港して以来,物資の集散が活発になった。1981年長江本流に全長2561mの堰堤が完成した。この葛州壩(かつしゆうは)ダムにより三峡地帯の長江の水位があがり数千トン級の船が重慶まで航行できるほか,300万kWの発電が可能となる。さらに市内宜昌県三斗坪の長江西陵峡で,三峡ダムの建設が2009年の完成を目ざして進められている。97年11月に長江をせきとめる堰堤が完成した。
執筆者:林 和生
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