宝達志水(読み)ほうだつしみず

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝達志水」の意味・わかりやすい解説

宝達志水(町)
ほうだつしみず

石川県中北部、羽咋郡(はくいぐん)にある町。2005年(平成17)羽咋郡志雄町(しおまち)、押水町(おしみずまち)が合併して成立。町名は町域南東部にある宝達山の宝達に志雄、押水のそれぞれの町名から1字を加えて付けられた。能登半島の基部にあたり、北は羽咋市、東は富山県に接し、西は日本海に面す。宝達山は標高637メートルで能登半島の最高峰。東部は宝達山の丘陵地、中央部は丘陵地から流出する子浦(しお)川、宝達川、相見(あいみ)川、前田川などが流れ、西部砂丘地形。JR七尾線、国道159号(押水バイパス七尾街道)、249号、471号が通じる。また、のと里山海道の米出(こめだし)、今浜(いまはま)のインターチェンジがある。旧石器時代から縄文時代、弥生時代の遺跡が町内各地に散在し、子浦川中流域の散田金谷古墳(さんでんかなやこふん)は特異な家形石棺古墳で、国指定史跡。古代には越中守大伴家持(おおとものやかもち)が能登巡行のため「志乎(しお)路」を越えた。1584年(天正12)、前田利家は末森(すえもり)城で越中の佐々成政に勝利し、この戦勝は利家に加、越、能三国支配をもたらす事となった。江戸時代には内浦(うちうら)街道の子浦、内浦街道と外浦街道の追分宿である今浜が中心であった。加賀藩政の末端を担う十村(とむら)役の喜多家住宅は国指定重要文化財。稲作イチジクブドウなどを産するが、農業人口は減少している。宝達山のクズ粉は特産として知られる。石川県農林総合研究センター畜産試験場や製薬、繊維、電子工業などの工場がある。今浜から羽咋市にかけての「千里浜なぎさドライブウェイ」は日本で唯一自動車で走ることのできる砂浜として知られる。海岸一帯は能登半島国定公園域になっている。面積111.52平方キロメートル、人口1万2121(2020)。

[編集部]


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改訂新版 世界大百科事典 「宝達志水」の意味・わかりやすい解説

宝達志水[町] (ほうだつしみず)

石川県中央部,羽咋(はくい)郡の町。2005年3月押水(おしみず)町と志雄(しお)町が合体して成立した。人口1万4277(2010)。

宝達志水町南部の旧町。羽咋郡所属。人口8543(2000)。能登半島の最南端に位置し,西部の押水平野と内灘砂丘,東部の宝達丘陵からなり,富山県に隣接する。砂丘の内側はかつて潟湖であった。基幹産業は農業で米作を中心に花木・果樹栽培が行われ,宝達山西麓には県営放牧場(現,石川県畜産総合センター)がある。北川尻には藩政時代十村役を務めた喜多家の住宅(重要文化財),北部の末森山には城跡がある。能登一の高さをもつ宝達山(637m)には,かつて金山があった。海岸線は能登半島国定公園の南端に当たり,能登海浜道路と千里浜渚ドライブウェーが走る。JR七尾線が通る。

宝達志水町北部の旧町。羽咋郡所属。人口7348(2000)。能登半島の基部に位置し,西部の邑知潟(おうちがた)平野,砂丘海岸と東部の宝達丘陵からなり,富山県に隣接する。中心集落の子浦(しお)は子浦川の谷口集落で,七尾街道の宿場町として形成された。基幹産業は農業で,沖積低地では米作,砂丘ではブドウ栽培が盛ん。繊維を中心とした工業も行われる。荻谷には藩政時代十郡奉行の下で村役を勤めた岡部家住宅が,散田(さんでん)には家形石棺を出土した金谷古墳がある。海岸線は能登半島国定公園に含まれ,能登海浜道路と千里浜渚ドライブウェーが走る。JR七尾線が通る。
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百科事典マイペディア 「宝達志水」の意味・わかりやすい解説

宝達志水[町]【ほうだつしみず】

石川県中央部,能登半島の付け根に位置する羽咋郡の町。2005年3月羽咋郡志雄町,押水町が合併し町制。JR七尾線,能登有料道路,国道159号線,249号線,471号線が通じる。111.52km2。1万4277人(2010)。

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