富山県立近代美術館問題(読み)とやまけんりつきんだいびじゅつかんもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「富山県立近代美術館問題」の意味・わかりやすい解説

富山県立近代美術館問題
とやまけんりつきんだいびじゅつかんもんだい

1986年(昭和61)、富山県立近代美術館で開催された「86富山の美術」展に端を発する事件。出品作家の一人大浦信行(1949― )のコラージュ作品が問題となったことから「大浦コラージュ事件」と呼ばれる場合もある。大浦は縄文時代と現代とを往還する意図のもと、昭和天皇の写真と女性のヌード画像を並置した構図のコラージュ連作「遠近を抱えて」を制作して同展に出品。展覧会は何ごともなく終了したが、会期終了後しばらくして全10作中4作の大浦作品を購入した美術館に対して、県議会において、自民党議員によって「県民の感情からして不快」という理由による異議が申し立てられ、これをきっかけに右翼団体の街頭宣伝車が美術館に押し寄せる騒動へと発展した。結局、美術館側はこの騒動に屈する形で大浦作品の公開を中止し、さらに93年(平成5)には買い上げ作品の売却(作家本人の了承は得ておらず、また買い手も公表されていない)と展覧会カタログの焼却処分が実施され、「遠近を抱えて」を鑑賞することは事実上不可能となった。

 この事態に憤慨した大浦と支援者は県と美術館を相手取って訴訟を起こすが、美術館側は作品の管理・運営上の困難と昭和天皇の肖像権を理由に一連措置は適切なものだったとして両者主張真っ向から対立する。以後両者の見解相違は、作品を自由に制作・公開する権利を侵害されたとする大浦の「表現の自由」と、作品を見ることができなくなった観客の「鑑賞する権利」の二つを主な争点として争われることとなった。

 富山地方裁判所の第一審(1998)では、原告側の主張のうち「表現の自由」の侵害を退ける一方で「鑑賞する権利」の侵害を認める判決を下したが、名古屋高等裁判所金沢支部の第二審(2000)ではこの後者の判断が退けられ、最高裁判所の上告審(同年10月27日)も第二審判決を支持、大浦側の全面敗訴が確定した。天皇制をめぐる表現の是非に加え、美術館行政のあり方や、裁判の行方に埋没してしまった観のある作品の評価など、さまざまな問題が問われた点では、60年代の「千円札裁判」にも比肩する重要な美術史上の事件だが、美術ジャーナリズムにおいてこの問題が本格的に検証されたことはほとんどなく、日本社会全般の天皇制タブーはこの問題にも反映されている。

 この裁判と並行して、大浦は「遠近を抱えて」の映像化に取り組み(1994~95)、さらには美術評論家の針生(はりう)一郎に取材した映画『日本心中――針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男』(2002)を制作するなど、ナショナリズムの問題を別の角度から検討する作業を進めた。事件当時の報道から支援組織の活動記録、裁判所の判決文など、10年以上にわたって争われたこの事件の記録は、「富山県立近代美術館問題を考える会」が編集した『公立美術館と天皇表現』(1994)と『富山県立近代美術館問題・全記録』(2001)という2冊の書物に詳しくまとめられている。

[暮沢剛巳]

『富山県立近代美術館問題を考える会編『公立美術館と天皇表現』(1994・桂書房)』『富山県立近代美術館問題を考える会編『富山県立近代美術館問題・全記録――裁かれた天皇コラージュ』(2001・桂書房)』

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