富沢赤黄男(読み)とみざわかきお

改訂新版 世界大百科事典 「富沢赤黄男」の意味・わかりやすい解説

富沢赤黄男 (とみざわかきお)
生没年:1902-62(明治35-昭和37)

俳人。愛媛県生れ。本名は正三。早稲田大学在学中に俳句関心をもち,1935年に日野草城の《旗艦》が創刊されると,〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉などを同誌に発表した。青春の鬱屈した心情を現代詩に多い用語で表現した赤黄男は,同時代の感情の表現を志向していた当時の〈新興俳句〉のホープとみなされた。〈爛々と虎の眼に降る落葉〉などを収めた句集《天の狼》(1941)は,その〈新興俳句〉の大きな成果である。敗戦後は46年に創刊された《太陽系》などの同人誌で時代の詩としての俳句を追求したが,しだいに虚無感を深め,〈破れた木--墓は凝視する〉(《黙示》1961)のような短詩を書くにいたった。
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20世紀日本人名事典 「富沢赤黄男」の解説

富沢 赤黄男
トミザワ カキオ

昭和期の俳人



生年
明治35(1902)年7月14日

没年
昭和37(1962)年3月7日

出生地
愛媛県西宇和郡川之石町

本名
富沢 正三

別名
旧号=焦左右

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔大正15年〕卒

経歴
会社づとめをするかたわら作句し、日野草城に兄事し、「旗艦」に参加、新興俳句運動に入る。昭和16年処女句集「天の狼」を刊行。戦後は「太陽系」(のち「火山系」と改題)を経て、27年「薔薇」を創刊した。他の句集に「蛇の笛」「黙示」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「富沢赤黄男」の意味・わかりやすい解説

富沢赤黄男
とみざわかきお
(1902―1962)

俳人。愛媛県生まれ。本名、正三。早稲田(わせだ)大学政経学部に学ぶ。『渋柿(しぶがき)』『ホトトギス』『泉』などに投句したが、水谷砕壺(さいこ)と『青嶺(あおね)』、さらに日野草城(そうじょう)の『旗艦』に加わり、新興俳句に転じ、定型によりながら詩的可能性を追求した。1937年(昭和12)応召、中国、北千島転戦、第二次世界大戦後『太陽系』『火山系』の創刊に加わり、『詩歌殿』を編集した。52年『俳句評論』に拠(よ)ったが、晩年は句作を断った。句集に『天の狼(おおかみ)』(1941)、『蛇の笛』(1952)などがある。

村山古郷

 秋の雲泥鳩笛(はとぶえ)吹けども鳴らず

『『富沢赤黄男全句集』全二巻(1976・書肆林檎屋)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富沢赤黄男」の解説

富沢赤黄男 とみざわ-かきお

1902-1962 昭和時代の俳人。
明治35年7月14日生まれ。昭和10年日野草城の「旗艦」に参加。反伝統・反ホトトギスの新興俳句運動にかかわる。16年第一句集「天の狼(おおかみ)」を刊行。戦後は「薔薇(ばら)」を主宰。昭和37年3月7日死去。59歳。愛媛県出身。早大卒。本名は正三。別号に蕉左右(しょうぞう)。
【格言など】やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ(「天の狼」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「富沢赤黄男」の解説

富沢 赤黄男 (とみざわ かきお)

生年月日:1902年7月14日
昭和時代の俳人
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の富沢赤黄男の言及

【新興俳句】より

…(2)中期は37年ころまで。35年ころには《京大俳句》《句と評論》《土上》《旗艦》等の主要誌が呼応,運動は全国的に伝播するとともに,連作から派生した無季俳句へと転進,篠原鳳作,西東三鬼(さいとうさんき),渡辺白泉,富沢赤黄男(とみざわかきお)らにより斬新な詩情と表現様式が追求される一方,《土上》《句と評論》では生活俳句が主張された。有季遵守の秋桜子,誓子は運動から離脱した。…

※「富沢赤黄男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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