ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大日本協会」の意味・わかりやすい解説
大日本協会
だいにほんきょうかい
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日清戦争直前の対外硬派政治団体。「真正なる対等条約の締結,内地雑居尚早」を標榜。1893年(明治26)10月1日発会。東洋自由党・国民協会・政務調査会・同盟倶楽部の所属代議士らが中心。第5議会では立憲改進党・同志倶楽部とともに対外硬派6派連合を形成し,条約改正交渉を進める政府を追及した。同年12月29日政府は解散命令を出した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…アジア変革の指導者として東洋経営の国是を定めようとする国権論を掲げるとともに,労働者,細民の運動を促進した。やがて外人の内地雑居に反対する大日本協会に参加し,対外硬派の運動を担った。99年大日本労働協会,小作条例期成同盟会を組織,翌年普通選挙同盟会の評議員となり再び労働者,細民の運動を展開した。…
…退官後小名木川綿布会社の社長に就任し,また90年の第1回総選挙に京都府から当選した(以後当選7回)。92年伊藤博文内閣の条約改正交渉に反対して内地雑居講究会を結成し,翌年同趣旨の団体と連合して大日本協会の結成に尽力した。第2次松方正義内閣,第1次大隈重信内閣の法制局長官となる。…
…日清戦争とともに国体論が社会に定着するだけでなく,軍事的膨張主義が民党にも浸透するようになると,三宅雪嶺らは西洋帝国主義の模倣としてこれに抵抗し,立憲的な側面をむしろ前面に押し出してくる。他方,この時期に〈日本主義〉を主張して大日本協会を結成した高山樗牛,木村鷹太郎らは,国体論を核心に据えると同時に,ドイツ流の国家主義を肯定しつつ,いっさいの自由主義的・民主主義的要素を排除しようとした。しかし皮肉なことにも,国体論の社会的定着という事実のために,それは一つの運動としては振るわなかった。…
…機関誌として週刊《新東洋》を発行して通信と伝道に努めた。やがて条約改正問題がおこると93年10月,安部井磐根(いわね),神鞭(こうむち)知常,佐々友房らと大日本協会を組織し,内地雑居反対,現行条約励行論を唱え,対外硬派の一翼として政府とあらそった。同年12月党は大日本協会に吸収される形で解党,大井らは大日本協会派として活動をつづけた。…
…しかし,明治20年代初頭の国粋主義的気運のなかで,内地雑居により日本経済が外国人に掌握され,土地も占有され,固有の風俗や宗教まで混乱するという反対論が台頭した。1892年内地雑居講究会が組織され,陸奥宗光外相の条約改正交渉が進すると,同会が発展して93年10月設立された大日本協会は,真正な対等条約の締結,内地雑居尚早を主張し,現行条約励行を政府に迫った。この反対論緩和のため陸奥外相は,居留地においても土地の賃貸権と家屋の所有権のみを許すことにした。…
※「大日本協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新