小原国芳(読み)オバラクニヨシ

デジタル大辞泉 「小原国芳」の意味・読み・例文・類語

おばら‐くによし〔をばら‐〕【小原国芳】

[1887~1977]教育家鹿児島の生まれ。玉川学園創設玉川大学総長。全人教育を唱え、新教育運動を推進。著「教育の根本的問題としての宗教」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小原国芳」の意味・わかりやすい解説

小原国芳
おばらくによし
(1887―1977)

大正・昭和期の教育者。鹿児島県生まれ。鹿児島師範、広島高等師範、京都帝国大学に学び、広島高師付属小学校の主事を経て、1919年(大正8)、成城小学校に主事として赴任。校長沢柳政太郎とともに教育改革のための新教育運動に指導的役割を果たす。沢柳の死去後、同校校長となるが、1933年(昭和8)に学内から排斥運動が起こり辞任。1929年に創設した玉川学園の経営に専念、同学園を国際的にも注目される一大総合学園に発展させた。その企画、構想、実行力は抜群で、雄弁でも知られている。教育論は「全人教育論」といわれ、真、善、美、聖という四つの価値を人格において調和的に発達させることを理想とした。

中野 光]

『『小原國芳全集』全48巻(1950~1978・玉川大学出版部)』

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20世紀日本人名事典 「小原国芳」の解説

小原 国芳
オバラ クニヨシ

大正・昭和期の教育家 玉川学園創設者。



生年
明治20(1887)年4月8日

没年
昭和52(1977)年12月13日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部哲学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
哲学博士

経歴
鹿児島師範、広島高師を卒業後、香川師範教師を経て、大正4年京都帝大哲学科に入学。卒業後、広島高師附属小学校主事を経て、8年成城小学校主事となる。15年成城高校を創立以後、新教育運動の指導者として活躍。昭和4年玉川学園を創立して同学園長に。7年我が国最初の「児童百科大辞典」(全30巻)を刊行。8年成城学園から追われ玉川学園の教育と経営に専念。21年には玉川大学を創設、同学長となる。“全人教育”を理念として幼稚園から大学院まで一貫教育のシステムを完成させた。著書に「教育の根本的問題としての宗教」「教育改造論」「自由教育論」「全人教育論」「宗教教育論」のほか、「小原国芳全集」(全48巻)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「小原国芳」の意味・わかりやすい解説

小原国芳 (おばらくによし)
生没年:1887-1977(明治20-昭和52)

玉川学園の創設者。鹿児島県出身。京都大学哲学科卒業。1919年に成城小学校長沢柳政太郎に請われて同校の主事に就任,以後,研究誌《教育問題研究》等を通して,また講演等によって教育改造運動を推進,新教育運動の発展に指導的な役割を果たした。その学校経営事業の手腕も抜群で,大正末期には成城小学校を都心の牛込から郊外の砧村に移し,そこに成城学園を中心とした学園都市をつくった。29年には,東京町田に玉川学園を創設,33年以後は成城を離れてもっぱら玉川学園での教育経営に力を注ぎ,ここを国際的にも注目をあびるすぐれた総合学園とした。その教育理念は〈全人教育〉の名で呼ばれている。《小原国芳全集》全48巻(1950-78),《小原国芳選集》全6巻(1980)などがある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小原国芳」の意味・わかりやすい解説

小原国芳
おばらくによし

[生]1887.4.8. 鹿児島
[没]1977.12.13. 東京
教育家,玉川学園創設者。京都帝国大学で教育学を専攻,広島高等師範学校付属小学校主事を経て 1919年成城学園小学校主事に就任,全人教育を提唱して新教育の推進役を果した。 30年成城学園小学校長となったがその前年に玉川学園を創設。 33年成城学園を辞して玉川学園の教育に専念,全人教育,労作教育,自学自律,個性尊重の教育,自然の尊重など 12項目の建学精神を掲げて人間の調和的発展の実現を目指した。 46年玉川大学を創設。幼稚園から大学までの総合学園として発展させた。『教育の根本問題としての宗教』 (卒業論文) ,『教育改造論』 (1920) ,『母のための教育学』 (26) ,『道徳教育論』 (57) など著書多数があり『小原国芳全集』 (46巻) に収められている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小原国芳」の解説

小原国芳 おばら-くによし

1887-1977 大正-昭和時代の教育者。
明治20年4月8日生まれ。大正8年沢柳政太郎にまねかれ,広島高師(現広島大)付属小学校主任から成城小学校主事となる。全人教育論を展開して新教育運動の指導者として活躍し,昭和4年玉川学園を創設した。国際新教育協会日本会長。昭和52年12月13日死去。90歳。鹿児島県出身。京都帝大卒。著作に「自由教育論」「夢見る人」など。

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367日誕生日大事典 「小原国芳」の解説

小原 国芳 (おばら くによし)

生年月日:1887年4月8日
大正時代;昭和時代の教育家。玉川大学学長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小原国芳の言及

【成城学園】より

…1917年沢柳政太郎が東京牛込の成城学校(1885年に〈文武講習館〉として発足した学校)に成城小学校を併設したのがその誕生である。沢柳はここを日本の初等教育改造のための研究・実験校とし,小原(おぱら)国芳,赤井米吉(のち1924年,東京井の頭に明星学園を創設)ら有能な教師をここに招き,雑誌《教育問題研究》を発行することなどを通して教育改造への気運をもりあげた。25年には東京府下砧村に広大な敷地を求めて移転,そこに学園都市を形成,7年制高校,高等女学校等をふくめた学園を建設した。…

【玉川学園】より

…東京都町田市にある総合学園。1929年4月,小原国芳によって創設された。小原の理想とした〈全人教育〉を実現することを目標として塾教育,労作教育ならびに芸術教育を軸に,個性尊重,自学自律などの学風をつくった。…

※「小原国芳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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