小川義綏(読み)おがわよしやす

精選版 日本国語大辞典 「小川義綏」の意味・読み・例文・類語

おがわ‐よしやす【小川義綏】

牧師。アメリカ人宣教師タムソンの日本語教師となり、感化されて受洗。日本キリスト公会の創設に加わって最初長老に推される。天保四~大正元年(一八三三‐一九一二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「小川義綏」の意味・わかりやすい解説

小川義綏 (おがわよしやす)
生没年:1831-1912(天保2-大正1)

キリスト教伝道者,牧師。武蔵多摩農民の子であったが,武家嗣子となり,その教育を受ける。D.トムソンの日本語教師となり,彼やJ.H.バラの感化で,キリスト教の禁制が解けていなかった1869年,キリストのために生命を棄てる決意で受洗。72年設立の横浜公会,73年設立の東京公会で日本最初の長老に選ばれ,奥野昌綱と多摩,千葉に伝道し,77年日本基督一致教会設立のとき教師となり,牛込浅草,明星教会の牧師を歴任した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小川義綏」の意味・わかりやすい解説

小川義綏
おがわよしやす

[生]天保2(1831).武蔵,多摩
[没]1912.12.19.
日本最初の牧師。農民の子として出生。文久3 (1863) 年神奈川に出て J.H.バラを訪れ,D.タムソンに紹介されたのを機に,彼の日本語教師となり,かたわら『ヨブ記翻訳を手伝う。明治2 (69) 年 38歳のとき,タムソンから受洗。同5 (72) 年横浜の日本基督公会設立に参加し長老となる。翌年バラとともに上京し築地に東京日本基督公会 (新栄橋教会) を設立し長老となる。 1877年日本基督一致教会が成立した際,按手礼を受けて奥野昌綱とともに日本最初の牧師となる。以後牛込,浅草,明星教会などの牧師をつとめ,巡回伝道にも大いに活躍した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「小川義綏」の解説

小川義綏

没年:大正1.12.19(1912)
生年:天保2(1831)
明治時代のキリスト教牧師。武蔵国多摩郡(府中市)の農家の長男。文久3(1863)年に新生活を求めて横浜に行く。宣教師J.H.バラの紹介でD.タムソンの日本語教師になり,聖書の日本語訳の手伝いをする。明治2(1869)年にタムソンから受洗。最初のプロテスタント教会である日本基督公会(1872年建立,バラ仮牧師)の長老に,さらに翌年に東京基督公会(タムソン仮牧師)が建立されたときも長老になる。郷里伝道をする。同10年には,按手礼を受けて日本人で最初の牧師となる。牛込(牛込払方町)教会,浅草(池袋西)教会で働き1300人以上に洗礼を施す。<参考文献>松岡喬一「小川義綏略伝」(『多摩文化』5号)

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川義綏」の解説

小川義綏 おがわ-よしやす

1831-1912 明治時代の牧師。
天保(てんぽう)2年10月生まれ。慶応元年横浜にでて宣教師タムソンの日本語教師となり,タムソンとともに「旧約聖書」の「ヨブ記」を翻訳。明治2年洗礼をうける。5年日本基督(キリスト)公会(横浜公会)を創立。長老として各地で伝道活動をおこなった。10年奥野昌綱らとともに日本最初の牧師となる。大正元年12月19日死去。82歳。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android