デジタル大辞泉
「小笠原貞頼」の意味・読み・例文・類語
おがさわら‐さだより〔をがさはら‐〕【小笠原貞頼】
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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小笠原貞頼 おがさわら-さだより
?-? 織豊-江戸時代前期の武士。
信濃(しなの)(長野県)松本城主小笠原貞慶(さだよし)の兄長隆の子という。豊臣秀吉の小田原攻め,朝鮮出兵に参加。徳川家康の命をうけ,文禄(ぶんろく)2年(1593)伊豆(いず)下田より出航し,3島を発見して小笠原島と命名したというが,真偽はさだかでない。通称は彦七郎,又七郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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小笠原貞頼
おがさわらさだより
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に仕え,小田原征伐や朝鮮役に従軍。南海に群島を発見して小笠原島と名づけたというが,『小笠原家譜』『藩翰譜』などには貞頼の名はみえず,その所伝の真偽は明らかでない。 (→小笠原諸島 )
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の小笠原貞頼の言及
【小笠原諸島】より
…ミカンコミバエは1985年根絶が確認され,果物などが島外へ持ち出せるようになり,アフリカマイマイ,ヤギについても97年現在,駆除が続けられている。【浅海 重夫】
【歴史】
小笠原諸島の呼称は,1593年(文禄2)豊臣秀吉の命で南方航海をした小笠原貞頼が発見し,のち徳川家康が発見者の名をつけることを許したからと伝えられる。すでに1543年(天文12)スペイン人ビラロボスが一部発見していたともいわれるが確証はない。…
※「小笠原貞頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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