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小笠原長時 おがさわらながとき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小笠原長時
おがさわらながとき

[生]永正11(1514).松本
[没]天正11(1583).2.25. 会津若松
戦国時代の武将。信濃守護長棟の子。府中 (松本) 林城を居城として,安曇,筑摩,伊那3郡に勢力をふるった。しかし,武田信玄信濃に進出し,天文 19 (1550) 年諸城を攻めるに及んで林城を捨て,村上義清と同盟して平瀬城に拠った。翌年,信玄が深志城に進出,平瀬城を落し,さらに長時方の中塔城,小岩岳城,苅屋城などを攻略したため,同 21年 12月,越後上杉謙信のもとに逃れた。のち三好長慶を頼って上京し,将軍足利義輝の弓馬の師範となった。長慶の養子義継が義輝を殺すと再び越後におもむき,さらに会津に移ったのち,家臣に殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小笠原長時 おがさわら-ながとき

1514-1583 戦国-織豊時代の武将。
永正(えいしょう)11年11月23日生まれ。小笠原長棟(ながむね)の長男。信濃(しなの)(長野県)安曇・筑摩両郡を領する。天文19年武田信玄軍に攻められ,城をうしなう。のち越後の上杉謙信をたよる。謙信の死後は陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)の蘆名盛氏(もりうじ)の庇護をうけたが,天正(てんしょう)11年2月25日同地で家臣に殺害されたという。70歳。通称は又三郎。著作に「小笠原家礼書」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小笠原長時

没年:天正11.2.25(1583.4.17)
生年:永正11.10.23(1514.11.9)
戦国時代の武将。長棟の子。右馬助,大膳大夫,信濃守。信濃(長野県)中央部の安曇・筑摩両郡を領したが,武田信玄の侵略を受け,天文17(1548)年7月19日の塩尻峠合戦での敗北以来,敗色濃く,同19年7月15日には本拠林城を失う。その後上京して同族の三好長慶を頼り,摂津芥川城に居留,のち越後の上杉謙信を頼った。謙信の死後は会津に移り,同地で家臣の手にかかり殺された。信濃守護の家に生まれた長時は,戦国大名に脱皮できないまま信玄に敗れた。信玄と戦ったことで実態以上に高く評価されることも多い。<参考文献>「笠系大成」(『信濃史料叢書』12巻)

(笹本正治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おがさわらながとき【小笠原長時】

1514‐83(永正11‐天正11)
戦国時代の武将。大膳大夫,信濃守,長棟の子。林城に拠り,信濃国安曇,筑摩の2郡を領する。1548年(天文17)武田晴信と塩尻峠に戦い敗れ,翌々年林城を失う。後に上京して三好長慶を頼り摂津芥川城にいたが,68年(永禄11)織田信長に攻略され,上杉謙信のもとに走る。謙信死後,会津に赴き蘆名盛氏の庇護をうける。83年会津若松で家臣に殺される。【笹本 正治】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小笠原長時
おがさわらながとき
(1514/1518―1583)

戦国時代の武将。信濃(しなの)守護職を継承した小笠原氏の嫡流深志(ふかし)家の嫡男として永正(えいしょう)11年11月23日府中林城(ふちゅうはやしじょう)で生まれる。幼名は豊松丸。1608年(慶長13)溝口貞康が主君小笠原秀政のために編纂(へんさん)録上した『溝口家記』などによると、1518年(永正15)の生誕となる。筑摩(ちくま)、安曇(あずみ)両郡と上伊那(かみいな)地方を領国とし、天文(てんぶん)年間(1532~55)武田信玄(しんげん)の攻略と戦った。1550年(天文19)府中を失い村上義清(よしきよ)と結び安曇を維持したが、52年信濃を追われ牢人(ろうにん)となった。越後(えちご)を経て上京した長時・貞慶(さだよし)父子は、広橋国光、山科言継(やましなときつぐ)ら公家(くげ)層との交誼(こうぎ)関係も深く、永禄(えいろく)年間(1558~70)三好長慶(ながよし)を頼り摂津国芥川(あくたがわ)城に滞留。この間将軍足利義輝(あしかがよしてる)、上杉謙信(けんしん)を介して帰国を策したが失敗。織田信長の三好攻略で基盤を失い、長時は流浪し、子貞慶は家康に仕え、1582年(天正10)7月深志城を回復した。この間の長時の行動は不明で、翌天正(てんしょう)11年2月25日家臣に殺された。[井原今朝男]

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367日誕生日大事典の解説

小笠原長時 (おがさわらながとき)

生年月日:1514年10月23日
戦国時代;安土桃山時代の武将;信濃守
1583年没

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世界大百科事典内の小笠原長時の言及

【小笠原氏】より

…甲斐出身の中・近世の武家。甲斐源氏加賀美遠光の次男長清が,甲斐巨摩郡小笠原(山梨県北巨摩郡明野村と中巨摩郡櫛形町との2説がある)に住んだのに始まる。長清は父とともに源頼朝に従って平家追討に戦功をあげ,遠光は信濃守,長清は信濃国伴野荘地頭に任ぜられた。後に長清は軍功によって阿波の守護職を与えられ,守護職は子の長経を経てその子長房の子孫に伝えられた。長経・長忠の嫡流は武田氏とともに由緒ある御家人として幕府に仕え,とくに騎芸乗馬礼法の家として尊重された。…

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