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小笠原長清 オガサワラナガキヨ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小笠原長清 おがさわら-ながきよ

1162-1242 平安後期-鎌倉時代の武将。
応保2年3月5日生まれ。小笠原氏の祖。加賀美遠光(とおみつ)の子として,甲斐(かい)(山梨県)小笠原館に生まれる。平家に属していたが,治承(じしょう)4年源頼朝にしたがい,信濃(しなの)(長野県)佐久郡伴野荘の地頭となる。承久(じょうきゅう)の乱では,武田信光らと東山道の大将軍として功をたて阿波(あわ)(徳島県)の守護となる。仁治(にんじ)3年7月15日死去。81歳。通称は二郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小笠原長清

没年:仁治3.7.15(1242.8.12)
生年:応保2.3.5(1162.4.20)
鎌倉前期の武将。小笠原氏の祖。甲斐国(山梨県)小笠原館に生まれる。甲斐源氏加賀美遠光と和田義盛の娘の子。初め平家に属して在京するが,治承4(1180)年,東国に下り源頼朝に従う。以後平家追討戦や奥州合戦に従軍し戦功を重ねる。文治年間(1185~90)に信濃国(長野県)伴野庄の地頭職であったことが確認される。承久の乱(1221)の際には,武田信光らと共に東山道の大将軍として幕府軍勝利に貢献し,乱後その功により阿波国(徳島県)守護に補任された。流鏑馬や笠懸など弓馬の道に秀でたことでも知られる。

(三田武繁)

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大辞林 第三版の解説

おがさわらながきよ【小笠原長清】

1162~1242) 鎌倉初期の武将。通称、加々美二郎。甲斐の人。源頼朝の臣。承久の変の功により阿波守護。小笠原流の祖とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小笠原長清
おがさわらながきよ
(1162―1242)

鎌倉時代の武将。小笠原荘(しょう)(山梨県南アルプス市小笠原)の館(やかた)で応保(おうほう)2年3月5日出生。幼名は豊松丸。長兄光朝(みつとも)は平氏、木曽義仲(きそよしなか)に従ったが、二男長清は父遠光(とおみつ)とともに源頼朝(よりとも)に仕え、小笠原氏の始祖となった。遠光が関東知行国(ちぎょうこく)の一つ信濃(しなの)国司に補(ぶ)され、長清も同国伴野荘(ともののしょう)地頭となり、年貢未済を理由に後白河院(ごしらかわいん)から頼朝を介して年貢催促を受けた。承久(じょうきゅう)の乱(1221)で東山道大将軍となり、反幕公卿(くぎょう)源有雅(ありまさ)を所領甲斐国稲積(いなつみ)荘小瀬村に誅(ちゅう)した。1216年(建保4)頼朝菩提(ぼだい)のため将軍祈願寺を設立、仁治(にんじ)3年7月15日没した。その子孫は、伴野、大井両荘を中心に信濃小笠原氏の基礎を築き、また「馬達者」ともいわれ、6世の孫貞宗(さだむね)は弓馬の道を家芸として将軍家に奉仕する小笠原流を創始した。[井原今朝男]

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367日誕生日大事典の解説

小笠原長清 (おがさわらながきよ)

生年月日:1162年3月5日
平安時代後期;鎌倉時代前期の武将
1242年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内の小笠原長清の言及

【小笠原氏】より

…甲斐出身の中・近世の武家。甲斐源氏加賀美遠光の次男長清が,甲斐巨摩郡小笠原(山梨県北巨摩郡明野村と中巨摩郡櫛形町との2説がある)に住んだのに始まる。長清は父とともに源頼朝に従って平家追討に戦功をあげ,遠光は信濃守,長清は信濃国伴野荘地頭に任ぜられた。後に長清は軍功によって阿波の守護職を与えられ,守護職は子の長経を経てその子長房の子孫に伝えられた。長経・長忠の嫡流は武田氏とともに由緒ある御家人として幕府に仕え,とくに騎芸乗馬礼法の家として尊重された。…

※「小笠原長清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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