百科事典マイペディア「奥州藤原氏」の解説
奥州藤原氏【おうしゅうふじわらうじ】
→関連項目伊沢家景|鎌倉幕府|衣川|陸奥国|陸奥国留守職|柳之御所跡
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…陸奥守との兼官かと思われる。奥州藤原氏の3代目として,奥羽一円におよぶ支配を確立した。源義経の保護者としても有名。…
…陸奥・出羽押領使。父の死の直後の1129年(大治4),弟の惟常(これつね)と戦って勝ち,奥州藤原氏の2代目となった。奥羽の摂関家領荘園の管理者になっていて,1153年(仁平3)には年貢について右大臣藤原頼長と争っている。…
…陸奥・出羽押領使。1187年(文治3)父の没後,奥州藤原氏代目となる。源頼朝の強請によって平泉にいた源義経を殺すが,許されず,89年7月頼朝の攻撃を受け,北海道に渡ろうとして敗走,途中肥内郡贄柵(にえのさく)で郎従の河田次郎に殺された。…
…平安時代前期には坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)などの征討によって,およそ岩手県中部までがその領域に入った。その後,平安時代後期に平泉を根拠地とする奥州藤原氏の約1世紀にわたる支配の間に,その領域は青森県の一部にも及んだと察せられる。 古代の陸奥国は蝦夷と境を接する辺要の国として,例えば陸奥鎮守府が設置され,また各地に柵(き)が営まれたこと,国司の在任期間が他の諸国の通例と比較して長かったことなど,行政上においても特殊性を有していた。…
※「奥州藤原氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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