百科事典マイペディア 「奥州藤原氏」の意味・わかりやすい解説
奥州藤原氏【おうしゅうふじわらうじ】
→関連項目伊沢家景|鎌倉幕府|衣川|陸奥国|陸奥国留守職|柳之御所跡
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平安時代末期(11世紀末~12世紀末)の東北地方の豪族。藤原清衡,基衡,秀衡,泰衡の4代をいう。清衡,基衡,秀衡3代のミイラ化した遺体と泰衡の首が岩手県中尊寺金色堂の須弥壇の下に葬られている。奥州藤原氏は,かつては蝦夷の出身でアイヌの血をひくものと考えられていた。しかし初代清衡の父の藤原経清は俵藤太秀郷の子孫で,系譜的には中世の武士に多い秀郷流藤原氏である。1950年に行われた遺体調査の結果も,彼らがアイヌ人らしくないことを明らかにした。初代清衡は,はじめは出羽の清原氏の一員として育った。それは父の経清が前九年の役で安倍頼時,貞任に味方したため源頼義に殺され,母の安倍氏(頼時の娘)が乱後清原武貞に再嫁したためである。その後清衡は,後三年の役で源義家とともに異父兄弟の清原家衡と戦って勝ち,安倍・清原両氏の支配権をそっくり継承し,1094年(嘉保1)ごろ磐井郡平泉に居を定めた。以後4代にわたって,藤原氏はそこを根拠地として奥羽に勢力をふるい,また京風の仏教文化を移入してその地を都市化した。初代清衡は中尊寺を,2代基衡は毛越(もうつ)寺を,3代秀衡は無量光院をそれぞれ創建したが,今にのこるのは中尊寺の金色堂と毛越寺の庭園だけである。3代秀衡のときが最盛期で,彼は1170年(嘉応2)鎮守府将軍になり,また源頼朝挙兵後の81年(養和1)には平家の強力な推薦によって陸奥守になった。しかし頼朝に追われる源義経をかくまったこともあって,89年(文治5)には頼朝の攻撃を受け,敗北・滅亡した。奥州藤原氏は,陸奥の産金をもととするその強大な財力,3代のミイラ,京風の先進仏教文化の辺境の地への移植などの事実によって,日本史上特異な位置を占める。だがその本質は武士であり,4代は一貫して陸奥・出羽押領使として奥羽両国の武士を統率する地位にあった。その武家政権成立史上の意義も無視できない。
→平泉文化
執筆者:大石 直正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安後期の約100年間,奥羽を支配した豪族。陸奥国平泉(現,岩手県平泉町)を本拠とした。藤原秀郷(ひでさと)の子孫という。前九年の役で安倍氏について討たれた亘理(わたり)(藤原)経清の子清衡が,後三年の役後,奥六郡を中心に奥羽の支配権を掌握。清衡は豊田(現,奥州市江刺区)から移って平泉を本拠とし,以後,基衡・秀衡と3代にわたって奥羽に君臨。摂関家など中央との関係も保ち,秀衡は鎮守府将軍・陸奥守に任じられた。中尊寺や毛越(もうつう)寺・無量光院などを建立。源平内乱期,秀衡は中立を守ったが,4代泰衡は源頼朝に追われて奥州入りした源義経をかくまったとして,1189年(文治5)頼朝に攻められ滅亡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…陸奥守との兼官かと思われる。奥州藤原氏の3代目として,奥羽一円におよぶ支配を確立した。源義経の保護者としても有名。…
…陸奥・出羽押領使。父の死の直後の1129年(大治4),弟の惟常(これつね)と戦って勝ち,奥州藤原氏の2代目となった。奥羽の摂関家領荘園の管理者になっていて,1153年(仁平3)には年貢について右大臣藤原頼長と争っている。…
…陸奥・出羽押領使。1187年(文治3)父の没後,奥州藤原氏代目となる。源頼朝の強請によって平泉にいた源義経を殺すが,許されず,89年7月頼朝の攻撃を受け,北海道に渡ろうとして敗走,途中肥内郡贄柵(にえのさく)で郎従の河田次郎に殺された。…
…平安時代前期には坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)などの征討によって,およそ岩手県中部までがその領域に入った。その後,平安時代後期に平泉を根拠地とする奥州藤原氏の約1世紀にわたる支配の間に,その領域は青森県の一部にも及んだと察せられる。 古代の陸奥国は蝦夷と境を接する辺要の国として,例えば陸奥鎮守府が設置され,また各地に柵(き)が営まれたこと,国司の在任期間が他の諸国の通例と比較して長かったことなど,行政上においても特殊性を有していた。…
※「奥州藤原氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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