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小笠原長秀 オガサワラナガヒデ

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デジタル大辞泉の解説

おがさわら‐ながひで〔をがさはら‐〕【小笠原長秀】

[?~1424]室町中期の武将。信濃の守護。礼式や騎射の法に通じ、足利義満の弓馬術の師範となった。義満の命により武家の礼法を定めたと伝えられる。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小笠原長秀 おがさわら-ながひで

1366-1424 室町時代の武将。
貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年9月18日生まれ。小笠原長基の次男。応永6年信濃(しなの)(長野県)守護となり,7年信濃にはいるが,村上満信らの国人一揆(いっき)にあい,大塔(長野市)で大敗。京都に逃げかえり,8年守護職を解任された。応永31年3月15日死去。59歳。幼名は豊若丸。通称は又次郎。著作に「犬追物起源」。

出典|講談社
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大辞林 第三版の解説

おがさわらながひで【小笠原長秀】

?~1425) 室町中期の武将。兵庫助。弓馬をもって足利義満に仕え、武家の礼法を定めた。「三議一統」の撰者とされる。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の小笠原長秀の言及

【大塔合戦】より

…1400年(応永7)9月守護の信濃支配に反発する北信・東信の武士がひき起こした合戦。先祖以来の信濃守護職に就任した小笠原長秀は善光寺に入って一国の政治を始めるが,尊大で,そのうえ川中島平の強豪武士村上氏の所領などにも守護使を入れたりした。その強圧的な領国支配に怒った村上氏や,観応の擾乱いらい小笠原氏とは故敵当敵の関係にあった大文字一揆などが中心となり,これに北信・東信のおもだった武士が連合して挙兵し,現長野市篠ノ井の地に布陣した。…

【信濃国】より

…86年村上頼国等の国人が善光寺に挙兵し当時守護所のあった平芝(ひらしば)(長野市安茂里(あもり))を攻撃し,守護代と戦った。このような状況下に,1400年(応永7)守護に補任された小笠原長秀が信濃国へ入部した。長秀は着任早々村上氏等信濃国人の所領へ強引に守護使を入部させた。…

※「小笠原長秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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