14世紀後半から15世紀にかけて形成された国人領主の階級的結集。国人領主の動向が重要な歴史的意味をもつようになるのは、14世紀中葉の観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)の前後からである。南北朝の内乱を経過するなかで、在地領主層は悪党(あくとう)状況を止揚して国人領主制を展開するに至り、室町幕府・守護(しゅご)・荘園(しょうえん)領主の興亡に大きくかかわるほどに実力を蓄積していった。室町幕府や守護勢力による政治的干渉を排除し、流通経済の地域的発展に対応するために、国人領主層は鋭い政治的感覚をもっているのが特徴である。守護などの上級権力と対峙(たいじ)し、かつ領内の土地と人民の支配を貫徹するためには、強力な軍事力を養い、国人相互間の階級的結集が必要であった。南北朝・室町期に、一揆契状(けいじょう)を取り交わして形成される国人一揆は、多様な形態をもっていたが、国人領主間の地縁的結合組織であり、成員間の平等を基礎にした契約的関係で結ばれ、事の理非を決定する際に、多数決制を採用していたことなどに共通の性格を認めることができる。
国人一揆は、1400年(応永7)の信濃大文字(しなのだいもんじ)一揆にみられるように、守護などの外部勢力の侵入に反対する在地領主層の統一戦線として形成されることが多かった。しかし、一揆契状に境相論(さかいそうろん)や市町(いちまち)での喧嘩(けんか)などに対する措置とともに、逃散(ちょうさん)百姓や下人(げにん)への対応策が書かれているのをみれば、領域内の農民支配を貫徹するための組織でもあったことは明白である。南北朝内乱期に、各地の農村に形成された惣(そう)結合は、領主権力に抵抗するための闘争組織を一段と強化充実させていった。農民の地域的連帯が進めば、闘争は個別国人領主の弾圧能力をはるかに超えるものとなった。闘争の一形態である農民逃散が、近隣の惣結合と密接な連携のもとに、国人領主の支配領域を越えて展開すれば、人返しの問題をめぐって領主相互間に深刻な矛盾が発生することは必然であった。その矛盾を解決する一つの方策は、国人領主が地域的結合組織を生み出すことであった。14世紀の後半における肥前松浦(ひぜんまつら)の国人領主連合や、15世紀初頭の安芸(あき)における国人一揆などは、支配領域内の農民との鋭い階級対立を内的要因として結成されたものである。畠山政長(はたけやままさなが)と義就(よしなり)の軍勢の撤兵を要求して形成された1485年(文明17)の山城(やましろ)国一揆や、織田勢力の侵入に対して1568年(永禄11)に組織された伊賀(いが)惣国一揆などは、国人一揆とは性質を異にするものであり、外部勢力の侵攻を阻止するための国人層と土豪・有力農民層との連合戦線である。
[佐藤和彦]
『福田豊彦「国人一揆の一側面」(『史学雑誌』76巻1号所収・1967・山川出版社)』▽『藤木久志著『戦国社会史論』(1974・東京大学出版会)』▽『永原慶二著『中世内乱期の社会と民衆』(1977・吉川弘文館)』▽『佐藤和彦著『南北朝内乱史論』(1979・東京大学出版会)』▽『岸田裕之著『大名領国の構成的展開』(1983・吉川弘文館)』
中世後期,国人と称された地方の在地領主が,その地域の領主相互間の紛争解決や,平和秩序の維持などを自分たちの手で行うために結んだ領主間契約,またその一揆契約に参加した人々の集団。15~16世紀には全国各地にさまざまな目的で国人一揆が結ばれ,その際作成された一揆契約状も,肥前松浦(まつら)党・安芸国人一揆のものなど数多く残る。これらの契約状には,喧嘩や所領争い,逃亡奴隷,用水の利用などをめぐる領主相互間の紛争を領主が実力で解決することを禁止し,一揆の議決機関である衆議の決定に従うことが共通して定められている。契約は神仏への誓約という形式をとっており,その意味では,平和を目的とした誓約団体ということができる。
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…南北朝・室町時代に在地領主層が中央・地方における動乱への対応,および領主権確保を目的とし,契状を取り結ぶなどして地域的に連合した形態をいう。(1)一定の政治的意図をもって上から組織されたもの(九州探題今川了俊が南朝側勢力討伐のためにその軍事力として編成した面をもつ1377年(天授3∥永和3)の南九州国人一揆など),(2)新任の守護に軍事的に対抗したもの(1400年(応永7)信濃国人が守護小笠原氏と戦ったもの,後述の安芸国人一揆など),(3)山城国一揆のように,畠山氏両軍を追放して国人層による国内支配をおこなった事例,などがある。いずれも外部からの政治的契機によって形成されており,その意図が果たされたり,守護大名の領国支配が進展すれば解体する。…
…また分国法を制定した戦国大名に守護職をもつ大名が多いという現象も,この系譜の上に理解される。 このように分国法は,家法,守護領国法にその直接的系譜が求められ,その発展の上に成立したのであるが,分国法の特徴は,これらのたんなる発展だけでなく,14世紀から16世紀にかけて全国各地に成立した在地領主の地域的結合体である国人(こくじん)一揆(国(くに)一揆)が制定した領主間協約である一揆契状を,ひとつの歴史的媒介項として吸収し成立している点にある。すなわち分国法は,在地領主階級による大名への領主権付託に基づく,領主階級の共同意志の集約という性格が基本となっているのであり,通常いわれる分国法の武断的・専制的性格もこの基本的性格に基づくものといえる。…
…中世の陸奥国においては,郡の政治機構上の意義が大きかったといえる。
[室町時代]
15世紀の陸奥国の政治の中心勢力は,南北朝内乱の中でこの国に土着した国人の結集体たる国人一揆である。それは14世紀末にはみられるが,1404年(応永11)の福島県中通りの伊東一族を中心とした国人20名からなる仙道一揆(せんどういつき),10年の岩城,岩崎,楢葉,標葉(しめは),行方(なめかた)の海道5郡の国人10氏による五郡一揆などが代表的なものである。…
※「国人一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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