世阿弥の著した能楽論書の一つ。別名を〈はなのかがみ〉ともいう。父観阿弥の教えに基づいて書いた最初の能楽論《風姿花伝》に続いて,彼が40余歳のころからおよそ20年間にわたる芸得の神髄を書き連ねたもので,稽古に関する標語を表題として掲げた題目6ヵ条と,末尾の〈奥の段〉以外は〈……事〉と題する事書12ヵ条の計18ヵ条から成る。初め《花習(かしゆう)》という題名で14ヵ条にまとめていたものを,その後,数次にわたって増補し,最終的には1424年(応永31,著者62歳)か,その少し前に成立した。内容は各条ともすべて演技者,とくにシテの立場における実践的体系としての考察で,前半の題目6ヵ条では主として能の構成要素である歌舞と物まね,すなわち声楽・舞踊・劇的演技に関する体得を披れきし,後半の12ヵ条では,演出・演技・稽古に関する問題から,さらには能芸美論,芸位論,芸評論にも言及している。その多くは《風姿花伝》における芸術論の発展であり,深化であるが,なかには〈万能綰一心事(まんのうをいつしんにつなぐこと)〉や〈離見の見〉など,本書において新たに提起された問題もあり,世阿弥の芸術論の極致としてその評価は高い。世阿弥の遺著はほかにも多いが,本書のように創造的・実践的所為に裏づけられた,しかも広範囲にわたる芸論は他に《風姿花伝》があるのみで,両書をもって彼の代表的著作とみなしてよい。ただし,《風姿花伝》が父観阿弥の芸能からの習得を書いた伝書であるのに対して,《花鏡》は世阿弥自身の精進における芸得を書きしるした伝書であるところに特色がある。世阿弥自身もとくに重視した一本で,彼がその芸才を認めた嫡男観世(十郎)元雅に相伝したものであることが他の伝書によって判明している。
執筆者:中村 格
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世阿弥(ぜあみ)の能の理論書。1424年(応永31)長男観世元雅(かんぜもとまさ)に伝えた秘伝で、父観阿弥(かんあみ)の教えによる『風姿花伝(ふうしかでん)』(花伝書)を発展させ、40代から老後に至る実践から創造された、世阿弥の芸術論の極致である。「心を十分に動かして身を七分に動かせ」という心の働きの重視、自分の舞い姿を客観視するための「離見(りけん)の見」といった発想、老境における「無心の能」という芸位の追究を説き、「初心忘るべからず」「能は若年より老後まで習ひとほるべし」との稽古(けいこ)の強調に貫かれ、「命には終りあり能には果てあるべからず」といいきっている。
[増田正造]
『久松潜一他校注『日本古典文学大系65 歌論集・能楽論集』(1961・岩波書店)』▽『表章他校注・訳『日本古典文学全集51 連歌論集・能楽論集・俳論集』(1973・小学館)』
世阿弥(ぜあみ)の著した能の伝書。1424年(応永31)奥書。「風姿花伝」に続く約20年間の芸論集成で,題目6カ条・事書12カ条からなる嫡子観世元雅(もとまさ)への相伝書。「花習内抜書(かしゅうのうちぬきがき)」の1418年奥書に,題目6カ条・事書8カ条の「花習」がみえ,幾度かの過程をへて成立したらしい。「花鏡」の名は21年奥書「二曲三体人形図」に載り,事書4カ条追加と既存の条の増補は20年奥書「至花道」より先と思われる。長期かつ複雑な成立過程を反映し,演技の基礎・応用,習道・理念などが混在するが,演者の心を問題にした論が多い。後年成立の条に高度の論が多く,とくに初心不可忘論を展開しての生涯稽古論は人口に膾炙(かいしゃ)し,名言として誤用を含みつつ今日でも用いられる。「世阿弥十六部集」では「覚習条々」の仮題を付している。「日本思想大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…世阿弥の遺著はほかにも多いが,本書のように創造的・実践的所為に裏づけられた,しかも広範囲にわたる芸論は他に《風姿花伝》があるのみで,両書をもって彼の代表的著作と見なしてよい。ただし,《風姿花伝》が父観阿弥の芸能からの習得を書いた伝書であるのに対して,《花鏡》は世阿弥自身の精進における芸得を書きしるした伝書であるところに特色がある。世阿弥自身もとくに重視した一本で,彼がその芸才を認めた嫡男観世(十郎)元雅に相伝したものであることが他の伝書によって判明している。…
…そのためか禅竹は岳父の世阿弥に教導を仰ぐことが多かったようで,金春大夫になった後の1428年(応永35)には《六義(りくぎ)》を,1428年(正長1)には《拾玉得花》を世阿弥から相伝されており,その奥書や《却来華》の文言から,世阿弥が禅竹の将来に嘱望していたことが知られる。義兄の観世元雅も〈一大事の秘伝の一巻〉(《花鏡》か)を見せるなど,禅竹に好意的であった。現存する2通の禅竹あて世阿弥書状も両者の親密な関係を語っており,世阿弥の佐渡配流中に禅竹が料足を送り,世阿弥の妻の寿椿(じゆちん)を扶養していたことも知られる。…
…子弟の成長で観世座は発展の一途をたどり,彼自身の芸も円熟の境に達し,出家前後が世阿弥の絶頂期であったろう。応永27年(1420)の《至花道》,30年の《三道》,31年の《花鏡(かきよう)》など,高度な能楽論が続々と書かれたし,彼が多くの能を創作したのも出家前後が中心らしい。 だが,1428年(応永35)に義持が没し,還俗した弟の義教が将軍になってから,観世父子に意外な悲運が訪れた。…
※「花鏡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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