(高良倉吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
琉球(りゅうきゅう)王国の最盛期をつくりあげた王。神号於義也嘉茂慧(おぎやかもい)。第二尚氏王朝の開祖尚円(しょうえん)を父に、オギヤカを母に生まれた。1476年、尚円が死去すると、群臣は世子尚真いまだ幼少との理由により尚円の弟尚宣威(しょうせんい)を2代目の王とした。ところが即位後まもなく尚宣威は尚円妃オギヤカの策謀により退位させられ、弱冠12歳で尚真が3代目の王となった(1477)。以後死去までの50年間王位に君臨し、琉球王国の歴史に一時代を画する施策を展開した。
まず外交・貿易の振興を国策の第一とした。とくに中国(明(みん))との関係強化に努め、年平均5隻の船舶を中国に派遣するなど中国貿易を飛躍的に前進させた。そのほか、日本や朝鮮、東南アジア諸国(シャム、マラッカ、安南(あんなん)、スンダ、パタニ)との間にも活発な貿易を行っている。次に国内政策では、各地で隠然たる勢力を保っていた按司(あんじ)を王都首里(しゅり)に集居させ、王を頂点とする位階制のなかに彼らを編成した。敵対者に対しては武力を用いて平定するという強行策もとっている(1500年の八重山(やえやま)のアカハチ・ホンガワラの乱平定など)。国家機構の整備、地方統治制度の強化も行っており、また聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女組織も確立している。円覚寺の建立(1493)、真玉道(まだんみち)の築造(1522)などの土木建築事業を営み、王の事蹟(じせき)を顕彰するため多くの碑文が立てられた。オモロは「天と地上をあわせた世界の王」と彼の絶対的な権威ぶりをうたっている。こうして、首里を拠点とし、北は奄美(あまみ)諸島から南は八重山諸島に及ぶ島嶼(とうしょ)を版図とする琉球王国が確立された。1526年12月11日死去。彼自ら造営した王家の墓玉御殿(たまうどぅん)(玉陵)に葬られた。
[高良倉吉]
『高良倉吉著『琉球の時代』(1980・筑摩書房)』
1465~1526.12.11
琉球王国の第二尚氏王統3代目の王(在位1477~1526)。在位50年は歴代国王中最も長い。王朝の開祖尚円の長男で,12歳で王位につく。中国(明朝)との貿易を活発にし,その財力で王国の基盤を固めた。王を頂点とする組織体制を強化し,地方役人制度も刷新した。各地で隠然たる勢力を保持する按司(あじ)(豪族)層を首里(しゅり)に強制移住させ,神女組織を編成して宗教を統制するなど斬新な施策を推進。首里城の増築,王家の菩提寺である円覚(えんかく)寺や王家墓(玉陵(たまうどうん))の創建など幾多の造営事業も手がけた。治世中は王国が最も充実した時期で,琉球の黄金時代と評される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新