日本歴史地名大系 「山崎宿」の解説
山崎宿
やまさきしゆく
山崎に置かれた山崎通の宿駅。山崎通は古代の山陽道のルートにほぼ合致し、西国街道ともよぶが、江戸幕府道中奉行の公称は山崎通であった。その道中奉行作成の山崎通宿村大概帳は当宿について「八幡領山城国乙訓郡山崎宿」と山城国所属のように記すが、同書の別の所の説明には「円明寺村境より東
山崎通は京都
山崎宿
やまざきしゆく
山崎村に置かれた日光東往還の継立場。同往還は元和三年(一六一七)に始まった将軍の日光社参の際に諸大名が利用する道で、将軍一行による社参時以外の通行はさほどではなかったと思われる。このため常人馬は置かれず、定助郷の制度もなかった。一方、社参時には大通行となり、安永五年(一七七六)徳川家治の日光社参の際には当宿助郷村は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報