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山形城 やまがたじょう

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日本の城がわかる事典の解説

やまがたじょう【山形城】

山形県山形市にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。1356年(延文1/正平11)、戦国大名の最上氏の祖である斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し、居館として築いたのが同城の起源。慶長年間に最上家当主の最上義光は城郭を拡大し、城下町の整備を行い、1622年(元和8)の最上氏改易後に山形に入った鳥居忠政は、さらに城の改修を行った。中近世の城郭のほとんどは二の丸、三の丸よりも高い位置に本丸がつくられたが、山形城は二の丸、三の丸のほうが本丸よりも高い位置にあった。また、江戸城に匹敵する広大な二の丸、三の丸を持ち、三の丸には武家屋敷や商家などの町屋や寺院などを配して、城下を城の中に取り込んでいた。こうした点で特徴的な城郭である。1634年(寛永11)、鳥居家は嗣子がいなかったために2代忠恒をもって断絶・改易となると、以降、山形藩はたびたび藩主が変わり、石高も減少していったために、江戸時代中盤以降は城の維持が困難になり、幕末には御殿が二の丸に置かれ、本丸は更地に、三の丸の西半分は田畑に変わっていた。明治に入り、城が売りに出されると山形市が購入して陸軍の駐屯地を誘致し、歩兵三十二連隊の兵営となったが、その際、城内にあった櫓(やぐら)や御殿は取り壊された。戦後、二の丸の内側は霞城(かじょう)公園として整備されたが、三の丸の外側は市街地化が進み、三の丸の濠も埋め立てられた。1986年(昭和61)、城跡が国の史跡に指定され、東追手門、本丸、二の丸東大手門、大手橋が復元され、今日に至っている。JR山形駅から徒歩約10分。◇霞城、霞ヶ城(かすみがじょう)、吉字城(きちじじょう)とも呼ばれた。

出典|講談社
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デジタル大辞泉の解説

やまがた‐じょう〔‐ジヤウ〕【山形城】

山形市にある城。正平11年=延文元年(1356)斯波(しば)兼頼の創建と伝えられる。のちに最上氏を称し11代当主となった義光が城郭を拡大。現在は、残存する二の丸城趾が国の史跡に指定。周辺は霞城(かじょう)公園として整備されており、桜の名所。霞ヶ城。霞城。

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世界大百科事典内の山形城の言及

【山形[市]】より

…市域には樹氷とスキーで知られる蔵王国定公園の観光基地蔵王温泉や立石(りつしやく)寺(山寺)(名,史)などの観光地があり,古代集落跡の嶋遺跡(史)や明治初年の洋風建築である旧済生館本館(重要文化財)などもあり,8月6~8日の花笠踊や秋の芋煮会が市民に親しまれている。【中川 重】
[山形城下]
 地名の初出は室町期の1455年(康正1)。北朝方の斯波兼頼が1356年(正平11∥延文1)その勢力を拡大するため当地に入部し,羽州探題としてこの地方を支配した。…

※「山形城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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