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山本常朝 やまもとつねとも

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山本常朝
やまもとつねとも

[生]万治2(1659).6.11. 佐賀
[没]享保4(1719).10.10. 佐賀
江戸時代の武士。『葉隠』の口述者。名は不携,市十郎,権之丞,神右衛門。法名は旭山常朝。佐賀藩士山本神右衛門重澄の末子として生れ,9歳のとき,藩主鍋島光茂の御側小僧として仕え,14歳のとき小々姓に任じられた。元服後,御書物役手伝となるが,役をはずされ,高伝寺住持湛然和尚,御側相談役石田一鼎を師として学び,28歳のとき,江戸に召され書写物御用,翌年京都詰を命じられた。 42歳のとき,藩主光茂の死にあい,出家して黒土原朝陽軒に隠退した。隠退後の口述を田代陳基が筆録 (1710~16) した『葉隠』は武士の思想を代表するものとして知られる。著書『愚見集』。

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百科事典マイペディアの解説

山本常朝【やまもとつねとも】

佐賀藩士の子として生まれ,藩主鍋島光茂(みつしげ)に仕え,光茂の死により出家。《葉隠》の聞書一・二は彼の武士道論を聞き書きしたもの。自著に《愚見(ぐけん)集》などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山本常朝 やまもと-つねとも

1659-1719 江戸時代前期-中期の武士。
万治(まんじ)2年6月11日生まれ。肥前佐賀藩士。9歳のときから約30年間,藩主鍋島光茂の側近としてつかえる。光茂の死に際し,出家。宝永7年から元佐賀藩士田代陣基(つらもと)に武士の修養書「葉隠(はがくれ)」を口述した。享保(きょうほう)4年10月10日死去。61歳。通称は神右衛門(じんえもん)など。号は旭山。著作に「愚見集」など。
【格言など】武士道と云うは死ぬ事と見付けたり(「葉隠」)

山本常朝 やまもと-じょうちょう

やまもと-つねとも

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朝日日本歴史人物事典の解説

山本常朝

没年:享保4.10.10(1719.11.21)
生年:万治2.6.11(1659.7.30)
江戸中期の思想家,『葉隠』主要部の口述者。肥前国佐賀藩の中級武士。山本重澄と前田作右衛門の娘の次男。名は神右衛門,旭山と号し,出家後の法名は旭山常朝。9歳で2代藩主鍋島光茂に御側小僧として初出仕,歌道好きの光茂に認められ,以後,御側役など一貫して藩主の側近として仕えた。自身も歌道に長じ,また儒学を石田一鼎に学ぶ。元禄8(1695)年に藩主光茂は家督を嫡男綱茂に譲り隠居。翌年,京都役を命ぜられ,光茂念願の歌道秘伝「古今伝授」を受けるため大納言三条西実教と折衝を重ね,同13年ようやく実現するが,同年光茂は病没する。幕府はすでに寛文3(1663)年に殉死を禁じていたため,出家し黒土原の草庵に隠棲。のち草庵を訪ねた20歳ほど若い元佐賀藩士田代陣基に述べた藩の昔語りや武士の心得などの語録を中心に,陣基が数年をかけ編纂したものが『葉隠』で,享保1(1716)年ごろ成立とされる。 『葉隠』は「武士道というは,死ぬ事と見付けたり」の過激な一句で有名だが,書写はいくつか残り,一部には強い支持はあったものの,佐賀以外では同時代への影響力はほとんどなかった。それが200年以上を経た太平洋戦争末期,特攻隊員ら死地に赴く若者の間に突然の大ブームを巻き起こすことになる。

(吉沢敬)

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世界大百科事典 第2版の解説

やまもとつねとも【山本常朝】

1659‐1721(万治2‐享保6)
葉隠》成立にかかわりのある人物。佐賀藩士の子として生まれ,少年時代より藩主鍋島光茂の側近に仕え,42歳で光茂の死に遭い,殉死に代わるものとして出家。《葉隠》の聞書一,二は,〈武士道と云は死ぬ事と見付たり〉という彼の反儒教的な武士道論を田代陣基が聞書きしたもの。《葉隠》の編者が常朝か否かは不詳。自著に《愚見集》などがある。【相良 亨】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山本常朝
やまもとつねとも
(1659―1719)

佐賀藩士。幼名は松亀(まつかめ)。通称は不携(ふけい)、市十郎、権之允(ごんのじょう)、神右衛門(じんえもん)。山本重澄(しげずみ)(1590―1669)の2男4女の末子。9歳のとき、2代藩主鍋島光茂(なべしまみつしげ)(1632―1700)に御側(おそば)小僧として仕え、ついで小小姓(こごしょう)となる。20歳で元服し、御側役、御書物役手伝(てつだい)となったが、まもなく出仕をとどめられる。この間、禅僧湛然(たんねん)(?―1680)に仏道を、石田一鼎(いしだいってい)(1629―1694)に儒学を学び、旭山常朝(きょくざんじょうちょう)の法号を受け、一時は隠遁(いんとん)を考えたこともあった。22歳のとき、ふたたび出仕し、御書物役、京都役を命じられた。42歳のとき、光茂の死の直前に、古今伝授一箱を京都より持ち帰った。光茂の死に際し、追い腹(おいばら)を願ったが果たせず、北山黒土原に庵(いおり)を結んで隠遁した。「分け入りてまだ住みなれぬ深山辺(みやまべ)に影むつまじき秋の夜の月」はそのときの歌である。
 田代陣基(たしろつらもと)(1678―1748)がゆえあって3代藩主綱茂の祐筆(ゆうひつ)役を免ぜられ、宗寿庵(あん)に常朝を訪ねたのは、常朝51歳のときである。ここから田代陣基の筆録になる『葉隠(はがくれ)』11巻が生まれた。常朝にはほかに、養子の常俊(つねとし)に与えた『愚見集』『餞別(せんべつ)』、鍋島宗茂(なべしまむねしげ)(1687―1755)に献じた『書置』、祖父、父および自身の『年譜』などの著述がある。[佐藤正英]
『相良亨著『武士の思想』(1984/新装版・2004・ぺりかん社)』

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367日誕生日大事典の解説

山本常朝 (やまもとつねとも)

生年月日:1659年6月11日
江戸時代前期;中期の思想家
1719年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の山本常朝の言及

【葉隠】より

…代表的な武士道論書。編著者は不詳であるが,山本常朝の思想的影響下に成立。成立年代も不詳であるが,1716年(享保1)完成とする写本もある。…

※「山本常朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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