ある歌の旋律に他の歌詞をもじって意味を変えた歌。歌詞に関係のない旋律による替歌も少数ではあるが作られている。多くの場合,歌詞のもじりは社会(とくに権力や権威)に対する風刺的批判として現れ,それゆえに多くの人々に歌いつがれる。社会状況が逼迫しているなかで,みずからの気持ちをすでにある歌の旋律に託して歌われることが多い。
第2次大戦中にはやった《愛国行進曲》の歌詞〈臣民われら皆共に 御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命〉が,〈臣民我等皆共に 水を飲んで大悲鳴〉と変えて歌われたが,権威ある者に生活,精神を圧迫されていると感じた人々が,権威をナンセンスなものにしてしまう替歌によって,うさを晴らしていたことがうかがえる。また,元旦に宮中で行われる四方拝を祝う歌《一月一日》は,明治のころから小学校で元旦の式のときに歌うことにされていた。その歌詞〈年の始めのためしとて 終わりなき世のめでたさを……〉を,大正・昭和初期の小学生は〈豆腐の始めは豆である 尾張名古屋の大地震……〉と歌っていた。このような替歌は軍隊内でも作られており,多くの兵隊俗謡が残されているが,軍律が厳しく,自由が認められていないようなところでも批判精神が強く現れることを示している。
第2次大戦後,替歌を作ってラジオで放送した三木トリローらの《冗談音楽》は,戦後復興期にある昭和20年代に高い人気を得た。しかし,マス・メディアで替歌が取りあげられるに伴って批判的姿勢の風化ももたらされた。
替歌の伝統には,和歌における著名な作品を取り入れて作る本歌取りがある。この場合,本歌をただまねたり,作り直したりするのではなく,本歌を連想させながら新しい歌境を生み出すことが重要であった。中世に多くみられた落首(狂歌体で,政治に対する風刺的批判を込めた句)なども替歌の一種とすることもできよう。落首の起源は権力者に対する寓意的批判を込めた童謡(わざうた)としての,いわゆる流行歌(はやりうた)にあり,名君たるもの巷(ちまた)の童謡に心すべしといわれた。その後,落首のほかに落書(らくしよ),落文(おとしぶみ)などが現れ,《平治物語》《源平盛衰記》《平家物語》などに多くみられる。そして,最も落首が頻繁に行われたのは幕末で,天保改革や黒船の来航に際して痛烈な時代風刺がなされた。
執筆者:加太 こうじ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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