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山際七司 やまぎわ しちし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山際七司 やまぎわ-しちし

1849-1891 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)2年1月1日生まれ。生家は越後(えちご)(新潟県)の庄屋。自立社を設立して国会開設運動をおこす。明治14年自由党結成にくわわり,幹事。高田事件,大阪事件にかかわり,大同団結運動,条約改正反対運動をすすめた。23年衆議院議員。明治24年6月9日死去。43歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山際七司

没年:明治24.6.9(1891)
生年:嘉永2.1.2(1849.1.25)
明治時代の政治家。諱は義晴,字は鵬挙,号は海州,任天。越後木場村(新潟県黒埼町)の庄屋山際郡司とかふるの長男。妻はれい。戊辰戦争に郷勇団を組織して幕府軍に参加。維新後,戸長,県会議員を勤め,自立社を結成して新潟県内の自由民権運動を指導した。『東洋自由新聞』の創刊や自由党の結党にも参画し,高田事件(1883)や大阪事件(1885)に連座した。大同団結運動を経て第1回総選挙(1890)に当選。立憲自由党に所属したが,路線対立から除名処分され,国民自由党を結成した。黒埼町史編纂室が関係史料を整理解読している。<参考文献>顕彰会編『山際七司先生顕彰会趣意書』

(河西英通)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山際七司
やまぎわしちし
(1849―1891)

明治前期の新潟県の代表的民権家。嘉永(かえい)2年1月1日、西蒲原(かんばら)郡木場村の庄屋(しょうや)の家に生まれ、三島(さんとう)郡の漢学者遠藤軍兵に学んだ。父郡司の死後、庄屋・大河津分水用弁掛を継いだ。明治維新後、戸長などを歴任するなかで、民権思想に傾倒し、1878年(明治11)県会議員に当選。80年国会開設懇望協議会を主催、2回にわたって国会開設を請願。81年板垣退助を総理とする自由党の結成に参画し、幹事となった。その後、大阪事件、条約改正中止運動、大同団結運動に関係。一方、県内の大同団結を目ざした越佐(えっさ)同盟会を組織した。90年衆議院議員に当選したが、翌年(明治24)6月9日東京で死去。[本間恂一]

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