日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田八千代」の意味・わかりやすい解説
岡田八千代
おかだやちよ
(1883―1962)
小説家、劇作家、劇評家。新劇運動の先駆者、小山内薫(おさないかおる)の実妹。広島市生まれ。母方の従兄弟(いとこ)に画家藤田嗣治(つぐはる)や舞踊評論家の蘆原英了(あしはらえいりょう)(1907―1981)がいる。兄の影響で早くから文学に親しみ、1902年(明治35)『明星』8月号に発表した小説『めぐりあひ』を処女作に、翌年の『歌舞伎(かぶき)』5月号に芹影女(きんえいじょ)の筆名で劇評を執筆、以後文壇および劇界で華やかな存在となった。1906年初戯曲『築島(つきしま)』(史劇)を『明星』に発表。同年末洋画家の岡田三郎助と結婚。三郎助の第2回帝展出品の名作『支那(しな)絹の女』(1920)は彼女がモデルである。1911年の青鞜社(せいとうしゃ)結成には賛助員として参加、雑誌『青鞜』に自宅(渋谷区伊達(だて)町)の町名にちなんだ伊達虫子の名で戯曲を発表。1913年(大正2)7月には長谷川時雨(しぐれ)と『女人(にょにん)芸術』を創刊。しかし、文壇活動の多忙とともに夫との仲に破綻(はたん)を生じ別居するに至った。1939年(昭和14)9月、三郎助没後、伊達町の家に戻った。戦後1948年(昭和23)に女流劇作家会をつくり、劇評などを執筆した。代表作に俳優井上正夫をモデルにした長編小説『新緑』(1907)、戯曲『黄楊(つげ)の櫛(くし)』(1912)がある。
[土岐迪子]