岡義武(読み)おかよしたけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡義武」の意味・わかりやすい解説

岡義武
おかよしたけ

[生]1902.10.21. 東京
[没]1990.10.5. 東京
政治学者。 1926年東京大学政治学科卒業。 28年同大法学部助教授。 36~38年欧米に留学。帰国後の 39年同大教授。国際政治史との関連のうえでとらえた新たな日本政治外交史を論じ,『黎明期の明治日本』を著わした。第2次世界大戦中も実証主義を貫き,学生時代の師吉野作造から得たリベラリズム姿勢を捨てなかった。第2次世界大戦後間もなく『近代欧州政治史』 (1945) ,『近代日本の形成』 (47) を発表。また政治史を単に政局といった表層的なものとしてではなく,政治を動かすのも政治家を生み出すのも結局は人間であるという視点から論じた『近代政治家のストラテジー』 (50) ,『山縣有朋』 (58) ,『近衛文麿』 (72) などにより政治学に新風を吹込んだ。晩年にも『近代日本の政治家』 (90) を著わした。 72年学士院会員,77年文化功労者。 86年文化勲章を受章

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡義武」の意味・わかりやすい解説

岡義武
おかよしたけ
(1902―1990)

政治史学者。東京都生まれ。1926年(大正15)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1928年(昭和3)同助教授、1939年同教授となる。1945年『近代欧州政治史』(のち1967年改訂版『近代ヨーロッパ政治史』)、1947年『近代日本の形成』(1962年改訂版『近代日本政治史Ⅰ』)を発表し、近代日本の政治史を国際政治との歴史的な関連でとらえ、独創的な研究成果をあげた。1963年退官後、学習院大学教授。1972年日本学士院会員。1977年文化功労者となり、1986年文化勲章を受章。著書に『黎明(れいめい)期の明治日本―日英交渉史の視角において』『転換期の大正』など。1990年10月5日没。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「岡義武」の意味・わかりやすい解説

岡義武【おかよしたけ】

昭和期の政治史家。東京都生れ。1926年東大政治学科卒。吉野作造の後継者として,1939年東大法学部政治史講座の担任教授となる。近代ヨーロッパ政治史研究,国際政治史研究に日本の政治史学の礎石となる成果を残し,またこれを背景に近代日本政治史研究を進めた。著書に《近代欧州政治史》《国際政治史》《近代日本政治史1》《転換期の大正》などのほか,政治家研究の《近代日本の政治家》《山県有朋》《近衛文麿》,幕末維新期の日英関係を扱った《黎明期の明治日本》などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡義武」の解説

岡義武 おか-よしたけ

1902-1990 昭和時代の政治学者。
明治35年10月21日生まれ。岡実の子。昭和14年母校東京帝大の教授,のち学習院大教授。明治以降の日本の政治動向を国際政治との関連で研究,近代日本政治史を体系づけた。61年文化勲章。学士院会員。平成2年10月5日死去。87歳。東京出身。著作に「国際政治史」「近代ヨーロッパ政治史」など。

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