鎌倉末期から戦国期の城。高知県南国(なんこく)市岡豊町八幡にある。城の創築年代は不明で、鎌倉末期にはすでに長宗我部(ちょうそがべ)氏の城としてあったと考えられている。1508年(永正5)長宗我部兼序(かねつぐ)のとき本山氏に城を奪われるということもあったが、その子国親(くにちか)のときに回復。さらに国親の子元親(もとちか)のときに四国全土を統一し、岡豊は長宗我部領の中心であった。1588年(天正16)大高坂(おおたかさ)山に移転し廃城。
[小和田哲男]
…その後,土佐の守護細川氏の麾下にあって吸江庵寺奉行を兼ね,応仁の乱にも東軍として京都に出陣している(《見聞諸家紋》)。以後戦国期は長岡郡岡豊(おこう)城に拠って国人領主として蟠踞(ばんきよ)し,国守土佐一条氏のほか安芸,香宗我部(あるいは山田),吉良,本山,大平,津野氏などとともに,土佐国〈大名七人〉〈守護七人〉などと呼ばれる。兼序は1508年(永正5。…
…平野北部,南西流する国分川北岸は古代の土佐国府の地に比定され,近くには国分寺や総社,国司であった紀貫之の邸跡と伝える地がある。また戦国期,土佐を統一した長宗我部元親の居城岡豊(おこう)城があった。近世前期,土佐藩執政野中兼山は郷士を起用して国分川南岸の長岡台地を開発,在郷町の後免(ごめん)町が形成された。…
※「岡豊城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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