岩田専太郎(読み)いわたせんたろう

精選版 日本国語大辞典 「岩田専太郎」の意味・読み・例文・類語

いわた‐せんたろう【岩田専太郎】

画家。東京出身。伊東深水師事大衆小説のさし絵を多く手がけ、ことに女性風俗画に独特の地位を築いた。明治三四~昭和四九年(一九〇一‐七四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩田専太郎」の意味・わかりやすい解説

岩田専太郎
いわたせんたろう
(1901―1974)

挿絵画家。東京に生まれる。木版摺師(すりし)の伯父感化を受けて大衆的な絵画に興味をもち、少年のころから独学で絵を学ぶ。20歳ごろから挿絵画家の生活に入るが、関東大震災(1923)後、一時大阪に移住、1926年(大正15)より『大阪毎日新聞』に連載吉川英治作『鳴門秘帖(なるとひちょう)』の挿絵を担当して、一躍人気画家となった。線描の美しい官能的な女性画像を得意とし、大衆娯楽雑誌の表紙を飾ったほか、新聞や雑誌の小説(とくに大衆的な時代小説)に、いわゆる専太郎独特の挿絵を提供し、幅広い愛好者の支持を集めた。かたわら本格的な日本画も描き、展覧会にも出品した。

小林 忠]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩田専太郎」の解説

岩田専太郎 いわた-せんたろう

1901-1974 大正-昭和時代の挿絵画家。
明治34年6月8日生まれ。伊東深水にまなび,20歳のとき博文館の「講談雑誌」に挿絵をかく。大正15年から「大阪毎日新聞」連載の吉川英治「鳴門秘帖(なるとひちょう)」の挿絵が評判をよび,モダン浮世絵とよばれる美人画はその後幅ひろい支持をえた。挿絵はほかに大仏(おさらぎ)次郎赤穂(あこう)浪士」,川口松太郎「蛇姫様」などがある。昭和49年2月19日死去。72歳。東京出身。画集に「三百年のおんな」,随筆に「女・おんな・女」「わが半生記」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩田専太郎」の意味・わかりやすい解説

岩田専太郎
いわたせんたろう

[生]1901.6.8. 東京
[没]1974.2.19. 東京
挿絵画家。小学生の頃京都へ移り,小学校を卒業後,友禅染の図案家,印刷図案家のもとで修業。 18歳で上京,21歳のとき講談雑誌に初めて挿絵を描く。関東大震災後関西に戻り,『大阪毎日新聞』連載の三上於菟吉作『日輪』 (1926) の挿絵で注目され,以後その地位を確立。第2次世界大戦後『オール読物』の表紙に現代女性の姿をあでやかに描き,とりわけ時代物の挿絵では甘美な鋭い描線によって評価を得た。

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世界大百科事典(旧版)内の岩田専太郎の言及

【イラストレーション】より

… 大正末期から昭和初期にかけての〈挿絵の黄金時代〉は,新聞・雑誌メディアの大衆化,多様化とともに,こうした挿絵の芸術性が高められたことを背景としており,1935年には《名作挿画全集》が編まれるまでに至った。邦枝完二《お伝地獄》《おせん》の小村雪岱(1887‐1940),吉川英治《鳴門秘帖》および大仏次郎《赤穂浪士》の岩田専太郎(1901‐74),永井荷風《濹東綺譚》の木村荘八はじめ,太田三郎,田中良,河野通勢,小田富弥,山川秀峰,中村貞以,中村岳陵,林唯一,小林秀恒,志村立美,堂本印象,矢野橋村,藤田嗣治,佐野繁次郎,宮本三郎,小出楢重ら,日本画家,洋画家,挿絵専門家が入り乱れて活躍することになる。また文学のジャンルも多様化し,〈探偵小説〉が大正末からブームを興すと,《新青年》を中心に,竹中英太郎,茂田井武,横山隆一,松野一夫,吉田貫三郎らが筆をふるった。…

※「岩田専太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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