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岸本能武太 きしもと のぶた

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岸本能武太 きしもと-のぶた

1866*-1928 明治-大正時代の宗教学者。
慶応元年12月16日生まれ。岸本英夫の父。新島襄(じょう)から受洗。明治23年渡米,ハーバード大にまなぶ。29年姉崎正治(まさはる)とともに比較宗教研究会を設立,宗教社会学草分けとなる。高等師範教授,早大教授などを歴任。昭和3年11月16日死去。64歳。備前(岡山県)出身。同志社英学校(現同志社大)卒。著作に「宗教研究」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

岸本能武太

没年:昭和3.11.16(1928)
生年:慶応1.12.16(1866.2.1)
明治大正期の宗教学者。岡山藩士滝義夫の次男。明治15(1882)年,安部磯雄らと共に,新島襄によって受洗。同18年に同志社英学校神学科卒業後,ハーバード大学に留学し,宗教哲学,比較宗教学を学ぶ。留学中,イエスを神とする三位一体説に反対するユニテリアンの影響を受け,帰国後,日本ユニテリアン弘道会の副会長として活動した(会長・安部磯雄)。同29年,姉崎正治と共に,比較宗教研究会を設立,主宰した。同31年には,片山潜,幸徳秋水らと社会主義研究会を結成した。高等師範学校,早大の教授も務めた。<著作>『比較宗教一班』<参考文献>鈴木範久『明治宗教思潮の研究』

(川村邦光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岸本能武太
きしもとのぶた
(1865―1928)

社会学者、宗教学者。岡山県生まれ。同志社大学卒業後、アメリカのハーバード大学に留学、アメリカ社会学を日本に導入した。1896年(明治29)設立の社会学会の会員であると同時に、片山潜(かたやません)らとともに、1898年に結成された社会主義研究会の会員でもあった。彼の立場は、著書『社会学』(1898)に示されているように、キリスト教社会主義の立場で、社会学と社会主義を社会改良の視点から統一的にとらえようとするものであった。また、比較宗教学に興味をもち、1896年姉崎正治(あねさきまさはる)とともに比較宗教研究会を主宰し、宗教社会学の草分けとなった。この分野の著書としては『宗教の比較研究』(1895)、『宗教研究』(1899)、『倫理宗教時論』(1900)、『比較宗教一班』(1902)などがある。[河村 望]

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世界大百科事典内の岸本能武太の言及

【ユニテリアン】より

…日本にも明治時代から紹介されているが教会としては振るわない。しかし岸本能武太のように同志社からユニテリアンに移った人などを通して,日本の宗教学や社会主義運動への先駆的貢献を果たした。【古屋 安雄】。…

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