崔仁勲(読み)さいじんくん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「崔仁勲」の意味・わかりやすい解説

崔仁勲
さいじんくん / チェインフン
(1936― )

韓国大韓民国)の作家咸鏡北道(かんきょうほくどう/ハムギョンプクド)会寧(かいねい/フェリョン)出身。ソウル大学法学部中退。その後軍隊に入隊し、比較的自由な軍生活のなかで初期の作品を執筆し、除隊後1959年『自由文学』に『グレー倶楽部顛末記(くらぶてんまつき)』を発表し文壇に登場。同年さらに『ラウ伝』を、翌年の1960年に『九月のダリア』『偶像の家』『仮面考』を発表し、その年の11月『夜明け』誌に『広場』を発表して注目される。この初期の代表作ともいえる作品においては、青少年期を北(北朝鮮)の社会主義体制の下で過ごし、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)後南下した作家自身の体験がそのまま作品形成のモチーフとなっている。すなわち、対立する南北イデオロギー狭間(はざま)で、自由を求め懊悩(おうのう)する主人公李明俊の苦悩故郷喪失した作家自らの苦悩ともいえるものであり、このような作家自らの問題意識は、後の作品『灰色人』(1963)や『西遊記』(1966)へと引き継がれている。さらに『小説家丘甫(クボ)氏の一日』(1970)では、1969年の冬のある1日から1972年5月の最後の日までのそれぞれの1日の記録を通して、分断された現実社会における知識人の絶望感を描いている。そのほかにも代表作として、仮想の国家を背景に、1人の植民地の青年が自らの正体の問題に向き合い、そこから発生する懊悩と葛藤(かっとう)を描いた『颱風(たいふう)』(1973)や、歴史的な過去と支配的なイデオロギーを批判した『総督の声』(1976)などがある。1970年には『文学を訪ねて』という初の評論集を出版している。1970年代の後半に入ってからは、おもに説話や伝説をパロディー化した『むかし、むかし、ホーイ、ホイ』(1976)や『月よ、月よ、明るい月よ』(1978)など戯曲の創作に専念するが、10年以上に及ぶ長い絶筆生活の末、ようやく沈黙を破って、1994年に自らの人生を反芻(はんすう)した告白形式の長編小説『話頭』を発表し話題となった。

[裵 美善]

『田中明訳『広場』(1978・泰流社)』『白鉄・柳周鉉編『韓国名作短篇集』(1970・韓国書籍センター)』『朝鮮文学の会編・訳『現代朝鮮文学選1』(1973・創土社)』『韓丘庸編・訳『韓国短篇童話集』(1988・エスエル出版会)』

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百科事典マイペディア 「崔仁勲」の意味・わかりやすい解説

崔仁勲【さいじんくん】

韓国の作家。李承晩政権の倒れた1960年に,それまでタブーだった南北の分断を扱った長編《広場》を発表し脚光を浴びる。以後も《灰色人》(1963年),《西遊記》(1966年)など,南北のはざまにあって苦悩する知識人を扱った作品を実験的で難解な文章で発表しつづける。さらに日韓会談に際しては日本の再侵略を風刺した《総督の声》を発表する。1994年には20年ぶりに書下し長編《話頭》(公案)を発表し話題をよんだ。

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