日本大百科全書(ニッポニカ) 「崔済愚」の意味・わかりやすい解説
崔済愚
さいせいぐ
(1824―1864)
朝鮮の宗教家、東学創始者。号は水雲。慶州の没落両班(ヤンバン)の出身で、漢学を学び、6歳と16歳で母と父に死別し生活に困窮した。崔は個人的境遇と、当時の朝鮮の社会的状況に絶望して各地を求道行脚(ぐどうあんぎゃ)し、1860年に東学を創始した。東学は朝鮮の民間信仰と儒・仏・仙を参酌したもので、21字の呪文(じゅもん)を唱え、紙片の霊符を焼いた灰を飲み、剣舞などの修行をすれば、済病長生と、ひいては生活に苦しむ民衆を救済し、欧米の侵攻を撃退して地上天国を実現させるという。東学は南部朝鮮の農民に急速に広まり、社会問題となった。当時の朝鮮では儒教以外は邪教として禁止されていたので、東学は弾圧され、崔は人心を惑わす罪で、1864年に大邱(たいきゅう)で死刑に処せられた。東学はその後も非合法化されていたにもかかわらず、各地に広まっていった。現在では天道教となっている。崔の著作は『東経大全(典)』(漢文)と『龍潭遺詞(りゅうたんいし)』(朝鮮文)に収められている。
[朴 宗 根 2018年6月19日]
『呉知泳著、梶村秀樹訳『東学史』(平凡社・東洋文庫)』