慶州(読み)けいしゅう

百科事典マイペディア「慶州」の解説

慶州【けいしゅう】

韓国,慶尚北道南東部の古都兄山江とその支流南川にまたがる帯状平野の中にある。新羅(しらぎ)の首都金城として4―10世紀に栄え,その遺跡が多い。高麗の太祖王健が慶と改称し,朝鮮王朝時代は慶州府と呼ばれた。月城は新羅の王城跡とされ,北西の瞻星台(せんせいだい)は天体観測を行った跡である。新羅時代の古墳としては金冠塚金鈴塚などが有名。吐含山南麓の仏国寺慶州石窟庵など新羅芸術の粋を集めており,両者は1995年世界文化遺産に登録,2000年には慶州歴史地域が同様に登録された。市内の芬皇(ふんこう)寺の石塔も新羅最古の寺院跡。慶州国立公園に指定されている。人口26万8000人(2005)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「慶州」の解説

慶州
けいしゅう
Qing-zhou; Ch`ing-chou

中国,朝の州名。第6代聖宗を葬った陵墓である永慶陵 (または慶陵) の維持のために,景福1 (1031) 年に設置され,のち興,道宗のもおかれた。州の城址は,現在の内モンゴル自治区昭烏達 (ジョウウダ) 盟巴林 (バリン) 左翼旗の北西部,白塔子部落にあり,仏塔である白塔と慶陵の壁画は,現存する遼代建築絵画の白眉として著名。金代に奉州と改称され,のちに廃止

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旺文社世界史事典 三訂版「慶州」の解説

慶州
けいしゅう

①古代朝鮮の統一王朝新羅 (しんら) の古都
慶尚北道に位置し,4世紀半ばごろから新羅の国都として栄えた。7世紀末には半島の首都として唐制を取り入れ,文化の中心を誇ったが,935年新羅の滅亡とともに没落。付近には新羅時代の仏寺や同王朝勃興期の古墳群など,多くの遺跡がみられる。
②遼の興宗が11世紀聖宗の陵墓慶陵 (けいりよう) を守るために設置した州。

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デジタル大辞泉「慶州」の解説

けいしゅう〔ケイシウ〕【慶州】

韓国南東部の都市。かつての新羅しらぎの首都で、古墳・瞻星台せんせいだい・仏国寺などの史跡が多い。キョンジュ
中国、遼の第6代聖宗を葬った永慶陵(慶陵)を守るために置かれた州。現在の内モンゴル自治区巴林パーリン左翼旗の北西部にあたる。

キョンジュ【慶州】

けいしゅう(慶州)

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精選版 日本国語大辞典「慶州」の解説

けい‐しゅう ‥シウ【慶州】

[一] 中国、遼代、現在の内モンゴル自治区赤峰市巴林(バリン)左旗の北西部に置かれた州名。白塔子。
[二] 韓国、慶尚北道北部にある都市。新羅の都で四~一〇世紀にかけて栄えた。今日、その遺跡が残る。キョンジュ。

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世界大百科事典 第2版「慶州」の解説

けいしゅう【慶州 Kyŏngju】

韓国,慶尚北道南東部の都市。人口12万2038(1980)。新羅(3世紀ころ~935)発祥の地であり,伝説時代を含めると約1000年の間王都として栄え,新羅の全盛時には人口78万余を数えたともいう。かつては鶏林とよばれ,慶州という呼称は高麗時代に始まる。兄山江の中流にある慶州盆地に位置し,北は迎日湾,南は蔚山(うるさん),西は洛東江流域の水田地帯へ通ずる要衝の地にある。年平均気温は約13℃であり,温暖な気候にも恵まれている。

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世界大百科事典内の慶州の言及

【朝鮮美術】より

…その伝播は,直接的には遼東地方の鮮卑族から高句麗を経て,新羅で開花したと考えられる。しかし,統一新羅時代になると唐文化の影響を大きく受けて金工の技術が飛躍的に発展し,奉徳寺銅鐘(国立慶州博物館)のような独特な形式を備えた朝鮮鐘も生み出された。高麗時代にも高度な金属工芸技術は伝承され,主として金銀象嵌文様を施した仏具にすぐれた作品を残している。…

※「慶州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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