川上澄生(読み)かわかみすみお

精選版 日本国語大辞典 「川上澄生」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐すみお【川上澄生】

版画家。横浜出身。北米放浪から帰国し、宇都宮中学校に勤めるかたわら、木版画家として活動異国情調豊かな作風で、木版本など多く作品がある。国画会会員。明治二八~昭和四七年(一八九五‐一九七二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「川上澄生」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐すみお〔かはかみ‐〕【川上澄生】

[1895~1972]版画家。神奈川の生まれ。北アメリカを放浪して帰国後、教職のかたわら木版画を制作異国趣味の作風で知られ、詩画集などの木版本を刊行

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「川上澄生」の意味・わかりやすい解説

川上澄生 (かわかみすみお)
生没年:1895-1972(明治28-昭和47)

版画家。横浜市に生まれる。1916年青山学院高等科を卒業。17-18年,カナダ,アメリカに滞在,各地で働き,かつ放浪する。帰国後,21年より栃木県立宇都宮中学で英語を教えるかたわら,木版画を始め,26年国画創作協会展出品の《初夏の風》,27年出版の小型絵入本《青髯》によってロマンティックな作風が注目された。その版画制作はあくまで個人的趣味の範疇はんちゆう)にあり,素人版画家を自任していた。それだけに生来孤独な精神の放浪者,夢想家として気ままに自己の世界を作品に投影し,《絵の上の静物》(1927),《蛮船入津》(1953)など初期から晩年まで,文明開化趣味,南蛮趣味を盛った独得の耽美的モダニズムの版画を制作した。《ゑげれすいろは》(1927),《じゃがたらぶみ》(1941)も同傾向の,自画自刻自摺の小型絵入本で,いわゆる豆本の先駆けとなった。昭和初期の作風は棟方志功らに影響を与えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川上澄生」の意味・わかりやすい解説

川上澄生
かわかみすみお
(1895―1972)

版画家。横浜市生まれ。1916年(大正5)青山学院高等科を卒業し、翌年から1年余りカナダ、アラスカ、アメリカへ放浪の旅をする。21年から栃木県立宇都宮中学校の英語教師となり、このころから木版画家として活動を始めた。27年(昭和2)日本創作版画協会の会員となり、また国画会展にも出品し、42年には同会の会員となる。文明開化調や南蛮異国趣味に独特の作風を示した。49年(昭和24)第1回栃木県文化功労賞を受賞。また昭和初めから『青髯(あおひげ)』『えげれすいろは』ほか小形木版本を多数刊行した。

[小倉忠夫]

『『川上澄生全集』全14巻(中公文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川上澄生」の解説

川上澄生 かわかみ-すみお

1895-1972 大正-昭和時代の版画家。
明治28年4月10日生まれ。青山学院高等科在学中に合田(ごうだ)清を知り,木版画をはじめる。カナダなどを放浪後,中学の英語教師をつとめるかたわら木版画家として活動。のち日本創作版画協会会員,国画会会員。文明開化調や南蛮趣味の作品を発表。昭和47年9月1日死去。77歳。神奈川県出身。本名は澄雄。詩画集に「青髯(あおひげ)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「川上澄生」の意味・わかりやすい解説

川上澄生【かわかみすみお】

版画家。横浜市生れ。青山学院高等科卒。在学中より木版画を始める。卒業後カナダ,アラスカを旅行。1921年宇都宮市の中学で英語教師を務めつつ,国画会等に発表。明治期の文明開化の雰囲気を伝えるものや,南蛮調の作風で知られる。栃木県に鹿沼市立川上澄生美術館がある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android