日本歴史地名大系 「川平村」の解説
川平村
かびいらむら
弘治一三年(一五〇〇)のオヤケアカハチ事件の頃、川平の仲間村に満慶山英極がいて勢力を張っていたが、アカハチに従わなかったため殺され、その後遺子八人は王府により首里大屋子に任じられたという(山陽姓大宗家家譜など)。底地浜の南にあるヤドゥピキャとよばれる自然洞窟は満慶山の墓と伝える。万暦二九年(一六〇一)川平村の石垣親雲上が頭職となったが、彼の長男が八重山キリシタン事件の当事者として処刑された石垣永将(本宮良)である(→富崎)。両島絵図帳に川平村とみえ、石垣島北東部に設定されていた
川平村
かわひらむら
川平村
かびらむら
川平村
かわひらむら
川平村
かわひらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報