主として,手と手の直接の延長である道具を用いて材料を加工し,物を作らせる教育。技術教育の基礎としての役割を果たす。この教育により,はさみ・のこぎり・金づちなど道具の性能や,粘土・木など材料の性質を学び,さまざまな技能を習得する。ヒトは他の動物とちがい,明確な目的意識をもって自然に働きかける労働によって知能を発達させ,人間になることができたといわれる。子どもの発達にとっても,この活動は重要な意義をもつ。文字による知識の注入に終始する教育に対し,工作=手の労働の意義に着目したのは,コメニウス,ルソーら一連の近代教育思想家であり,ルソーは《エミール》で〈事物を通しての教育〉を提唱し,これを受けてペスタロッチは生産労働と知的学習との結合の実践を進め,学校を読み書き学校にとどめず,事物にふれ,〈頭〉と〈手〉とを結びつける活動を通して子どもを可能なかぎり全面的に発達させる場に改めようとし,工作やこれに類する活動を尊重した。19世紀半ば以降,北欧に始まり,欧米諸国で公教育に工作を正規の教科として導入する動きが強まった。これは近代教育思想の継承であると同時に,近代産業の発展や国際的な経済競争のなかでの国益追求を直接の動機とするものであり,そのために国民を幼少期から教育しようとしたのである。
日本で工作教育が始まったのはちょうどこの時期にあたり,まず〈手工科〉の名称で,1886年の〈小学校ノ学科及其程度〉で高等小学校に,ついで90年の小学校令で尋常小学校にも随意科目として設置された。その後,手工科は経済の好不況に影響され,また大正期の芸術自由教育など教育思潮の変遷の影響を受け,盛衰を繰り返した。1941年の国民学校令では,国防強化,軍事産業重視の立場から近代技術につながる内容を強化し,〈工作〉と改称,芸能科の一科目とされた。第2次大戦後の小学校では,図画(美術)教育と統合して図画工作科のなかで扱われ,中学校では,職業科,職業・家庭科を経て,58年,技術・家庭科が設けられ,そのなかで一般教育としての技術教育が行われるようになった。小学校の工作が,これと一貫性をもたないとの見方から,図画から分離した独立の教科にすべきであるとの主張も強い。また学校教育のなかでけがなどの事故がもっとも多い分野であり,工作室の整備と安全教育の徹底が求められている。
→技術教育
執筆者:須藤 敏昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1886年(明治19)欧米の教育思潮の影響を受けて、高等小学校の科目に加えられた手工科を起源とする。当初は工業教育としての性格が強かったが、以来、勤労主義、審美主義、理学教育説など多くの指導理念が提唱されて消長を繰り返し、1941年(昭和16)に一般教育教科として位置づけられた。同年の国民学校令によると「芸能科工作ハ物品ノ製作ニ関スル普通ノ知識技能ヲ得シメ、機械ノ取扱ニ関スル常識ヲ養ヒ工夫考察ノ力ヲ培フモノトス」となっている。第二次世界大戦後改められ、47年(昭和22)図画工作科として、小学校・中学校の教科でもあった。その後、中学校では58年、図画工作科の生産的内容と、職業・家庭科の一般教育的内容とを抽出し、技術・家庭科が創設され、現在に至っている。
[河原淳夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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