市川 男女蔵(3代目)(読み)イチカワ オメゾウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川 男女蔵(3代目)」の解説

市川 男女蔵(3代目)
イチカワ オメゾウ


職業
歌舞伎俳優

別名
初名=榊山 金蔵(2代目),前名=尾上 菊十郎,尾上 新七(3代目)

経歴
父は歌舞伎俳優の2代目市川男女蔵。初名を2代目榊山金蔵といい、父と共に上方の舞台に出演した。弘化2年(1844年)江戸に出て尾上菊十郎を名乗り、同年11月には中村座の「花盞大江山」に出演し、父と共に立役を勤めた。次いで、弘化4年(1846年)3代目尾上新七に改名。安政1年(1854年)大坂に帰るが、間もなく江戸に戻り、安政3年(1856年)には父の名跡を次いで3代目市川男女蔵を襲名した。以後は、旅芝居や大坂の浜芝居に出演。その後、舞台からも名が消え、没年も分かっていないが、明治23年東京向島の長命寺に守川周重之碑を建立しており、その頃までは存命していたと考えられている。

没年月日
(生没年不詳)

家族
父=市川 男女蔵(2代目)(歌舞伎俳優)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川 男女蔵(3代目)」の解説

市川男女蔵(初代) いちかわ-おめぞう

1781-1833 江戸時代後期の歌舞伎役者
天明元年生まれ。2代市川門之助の長男。5代市川団十郎に入門,寛政元年男女蔵を名のる。立役(たちやく)を得意とし,享和4年江戸市村座での「四紅葉思恋深川(よつもみじおもいのふかがわ)」の白藤(しらふじ)源太役で評判をとる。天保(てんぽう)4年6月7日死去。53歳。初名は市川弁之助。俳名新車,海丸。屋号は滝野屋。

市川男女蔵(2代) いちかわ-おめぞう

?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
大坂の中山久吉に入門。文政4年(1821)江戸の7代市川団十郎の門にはいり,3代市川雷蔵を名のる。7年2代男女蔵を襲名。大坂にもどり中座で大立者となるが,弘化(こうか)2年ふたたび江戸にうつった。大坂出身。初名は中山金蔵。前名は榊山金蔵(初代),榊山四郎三郎,中山楯蔵(2代)。

市川男女蔵(3代) いちかわ-おめぞう

?-? 幕末の歌舞伎役者。
2代市川男女蔵の子。上方で修業,弘化(こうか)2年(1845)江戸へゆき3代尾上(おのえ)菊五郎に入門。尾上菊十郎,3代尾上新七をへて,安政3年3代男女蔵を襲名。のち旅芝居や大坂の浜芝居で活躍。明治23年以後に死去といわれる。初名は榊山金蔵(2代)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の市川 男女蔵(3代目)の言及

【市川左団次】より

…6世市川門之助の子。4歳のとき4世男寅(おとら)の芸名で初舞台,4世市川男女蔵(おめぞう)を経て52年左団次を襲名した。女方ややわらかみのある立役と芸域が広く,6世尾上菊五郎の没後は菊五郎劇団のまとめ役として重きをなした。…

※「市川 男女蔵(3代目)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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