市川荒五郎(読み)イチカワ アラゴロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川荒五郎」の解説

市川 荒五郎(4代目)
イチカワ アラゴロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
市川 楠三郎

別名
前名=市川 荒太郎(初代),俳名=市眼

屋号
三河屋

生年月日
文久1年 3月6日

出身地
大坂(大阪府)

経歴
明治2年「殿下茶屋聚」で初舞台。8年市川荒太郎を名乗り、13年名題に昇進。39年4代目荒五郎を襲名敵役として知られ、当たり役は明智光秀、「矢口渡」の頓兵衛など。関西歌舞伎界の中堅俳優として活躍した。

没年月日
昭和5年 5月17日 (1930年)

家族
父=市川 荒五郎(3代目),養子=市川 荒太郎(3代目)


市川 荒五郎(3代目)
イチカワ アラゴロウ


職業
歌舞伎俳優(敵役)

本名
小川 荒五郎

別名
俳号=市眼

屋号
三河屋

生年月日
天保4年

出身地
大坂(大阪府)

経歴
天保11(1840)年5代目市川団蔵の門人市川団次郎と名乗り、稲荷芝居などの宮芝居につとめたが、再び歌舞伎界に復帰し慶応2(1867)年頃に3代目市川荒五郎を襲名。敵役として観客より罵倒を受けたが、むしろ演技力を証明するものとしてこれを誇りとし、晩年老巧な俳優として重鎮された。

没年月日
明治39年 2月24日 (1906年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「市川荒五郎」の解説

市川 荒五郎(4代目)
イチカワ アラゴロウ

明治・大正期の歌舞伎俳優



生年
文久1年3月6日(1861年)

没年
昭和5(1930)年5月17日

出身地
大阪府

本名
市川 楠三郎

別名
前名=市川 荒太郎(1代目),俳名=市眼

屋号
三河屋

経歴
明治2年「殿下茶屋聚」で初舞台。8年市川荒太郎を名のり、13年名題に昇進。39年4代目荒五郎を襲名。敵役として知られ、当たり役は明智光秀、「矢口渡」の頓兵衛など。関西歌舞伎界の中堅役者として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川荒五郎」の解説

市川荒五郎(初代) いちかわ-あらごろう

1759-1814* 江戸時代中期-後期歌舞伎役者
宝暦9年生まれ。6代市川団蔵の父。初代中村粂太郎の門人。中村直吉の名で上方の舞台に出演。のち江戸にうつり,寛政10年4代市川団蔵に入門,市川荒五郎を名のる。享和元年名題(なだい)に昇進。立役(たちやく)で若衆方もかね,和実を得意とした。文化10年閏(うるう)11月13日死去。55歳。前名は中村粂次郎,佐野川市松(3代)。俳名は盛府,市丸。屋号は三芳屋。

市川荒五郎(3代) いちかわ-あらごろう

1833-1906 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)4年生まれ。5代市川団蔵に入門,団次郎を名のる。大坂の稲荷(いなり)芝居に出演。明治5年3代荒五郎を襲名し,大阪の筑後(ちくご)芝居の「殿下茶屋聚(むら)」で敵役役者の地位を確立。当たり役は「崇禅寺馬場」の生田伝八郎など。明治39年2月24日死去。74歳。大坂出身。本名は小川荒五郎。俳名は市眼。屋号は三河屋。

市川荒五郎(4代) いちかわ-あらごろう

1861-1930 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
文久元年3月6日生まれ。3代市川荒五郎の子。明治2年の初舞台以来大阪で出演。39年弁天座で4代を襲名。敵役として知られ,当たり役は「矢口渡」の頓兵衛など。昭和5年5月17日死去。70歳。大坂出身。本名は市川楠三郎。前名は市川荒太郎。俳名は市眼。屋号は三河屋。

市川荒五郎(2代) いちかわ-あらごろう

?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
5代市川団蔵の門人。大坂座摩稲荷(いなり)などの宮芝居で評判をとる。天保(てんぽう)7年(1836)江戸の中村座で立役(たちやく)をつとめたが,その後は不明。早世したともいう。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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