布川事件(読み)ふかわじけん

共同通信ニュース用語解説 「布川事件」の解説

布川事件

1967年8月、茨城県利根町布川で大工の男性=当時(62)=が自宅で絞殺され、県警桜井昌司さくらい・しょうじさんら2人を強盗殺人容疑で逮捕。2人は公判無罪を主張し、最高裁まで争ったが、78年に無期懲役が確定。96年に仮釈放された。自白の信用性に疑問があるとして、2005年に水戸地裁土浦支部が再審開始を決定し、11年に無罪判決が言い渡された。桜井さんは12年、国と県に損害賠償を求め提訴。警察、検察双方の違法捜査を認め、計約7400万円の賠償を命じた二審東京高裁判決が21年9月に確定した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「布川事件」の意味・わかりやすい解説

布川事件
ふかわじけん

1967年(昭和42)8月、茨城県北相馬(きたそうま)郡利根(とね)町布川で一人暮らしの大工の男性(当時62歳)が、自宅で殺害された事件。別件で逮捕された同じ町内の青年2人が、強盗殺人罪で起訴され、無期懲役の判決を受けて服役したが、仮出所後に再審が行われ、無罪が確定している。

[江川紹子 2017年1月19日]

事件発生~有罪判決

被害者の遺体は、8月30日朝、仕事を頼みに行った近所の人が、男性の自宅8畳間で発見した。両足ワイシャツなどで縛られ、口には木綿(もめん)のパンツが押し込まれ、首にもパンツが巻きつけられており、死因は窒息死。死亡したのは28日夜から29日未明にかけてと推定された。室内には物色の跡があったが、何を盗まれたのかはわからなかった。茨城県警は、同町の公会堂に捜査本部を設置し、80余名の捜査員を動員。被害者が金を貸していた相手のメモや近隣の素行不良者のリストを片端からあたったが、なかなか容疑者を特定できず、捜査は難航した。

 10月10日、捜査本部は桜井昌司(しょうじ)(1947―2023、当時20歳)を友人のズボン1本を盗んだ容疑で逮捕し、本件を自白させた。さらに同月16日、杉山卓男(たかお)(1946―2015、当時21歳)を不良仲間とともに起こした暴力行為の容疑で逮捕し、本件についても認めさせた。被害者に借金を申し込んだが断られたため、殺害のうえ現金合計約10万7000円を奪ったとする2人の自白調書が作成された。

 現場で採取された指掌紋(ししょうもん)に2人のものはないなど、本件と2人を結び付ける客観的な証拠は何もなかった。裁判で検察は、2人の自白調書と、事件当日に2人を現場周辺で見たとする複数の目撃証言で有罪立証を行った。2人は、一審当初から起訴事実を否認し、アリバイを主張するとともに、自白調書の任意性や信用性を争った。しかし、水戸地方裁判所土浦(つちうら)支部は、目撃証言などを理由にアリバイ主張を退け、自白調書には任意性、信用性がともにあるとして、無期懲役の判決を下した。東京高等裁判所が控訴を棄却し、最高裁判所が1978年7月3日に上告を棄却して、判決は確定。2人は千葉刑務所で服役を開始した。

[江川紹子 2017年1月19日]

再審請求審

2人は、目撃証言の誤りを指摘する証拠などを新証拠として、1983年12月に再審を請求したが、水戸地裁土浦支部はこれを棄却。東京高裁も抗告を退け、1992年(平成4)9月に最高裁が特別抗告を棄却して、第一次再審請求は終わった。

 1996年11月12日に杉山が、同月14日に桜井が仮釈放で出所。2001年(平成13)12月、自白どおりに事件を再現した実験の映像や法医学者による新鑑定などを新証拠とし、現場や死体の状況が2人の自白と矛盾するなどして、第二次再審請求を行った。

 水戸地裁土浦支部は、弁護側の請求に応じ、非公開での証人尋問など事実調べを行った。その結果、自白の枢要部分である殺害方法が、実際の死体の客観的状況と矛盾する、自白はさまざまな点で変遷しており、捜査官の誘導に迎合した供述と疑われる点が多数存在する、目撃証言には捜査官の暗示、誘導の可能性があり、信用性に疑問がある、などとして、2005年9月21日に再審開始を決定した。

 東京高裁も、2人の自白の信用性は認められないなどとして、検察側の即時抗告を棄却し、再審開始を支持。検察側は特別抗告して争ったが、2009年12月14日、最高裁はこれを棄却し、再審開始が確定した。

 再審請求審で、弁護団は検察側に対し、原審で未提出の証拠を開示するよう強く求めた。裁判所の訴訟指揮もあって、検察側は第一次再審で11点、第二次再審で123点の証拠を開示。そのなかには、現場で採取された毛髪には2人のものがなかったことを示す鑑定書、犯行当日に被害者宅前で2人とは異なる不審な男を目撃したとする証言を含む、有罪判決の根拠となった目撃証言とは矛盾する調書や捜査報告書など、無罪方向の証拠が多く含まれていた。また、複数の捜査官が法廷証言で存在を否定していた、桜井の供述を録音したテープもあった。その録音には途中に中断があり、前後で供述が大きく変わっていて、その間に捜査官の誘導があったことが疑われるものであった。

 弁護側は、このような検察側の「証拠隠し」が冤罪(えんざい)の一因であると批判した。再審請求審での証拠開示に関しては、法律の規定がなく、裁判官の判断に任されているが、本件によって、証拠開示の重要性や再審請求審での証拠開示のルールを定めることの必要性が、再認識されることになった。

[江川紹子 2017年1月19日]

再審とその後

再審公判は、2010年7月9日に水戸地裁土浦支部で開始。6回の公判を経て、同支部は2011年5月30日、目撃証言は信用性に欠ける、2人の自白は信用性がなく、任意性にも疑問がある、2人のアリバイを虚偽とする証拠はない、などとして、無罪とした。検察側は、「控訴審で新たな立証をするのは困難」として控訴を断念し、無罪判決が確定した。

 2人は、いずれも仮釈放されてから知り合った女性と結婚し、杉山は一男をもうけた。桜井は、無罪確定後の2012年11月、違法な取調べや証拠隠しがあったとして、国と茨城県を相手取り、総額約1億9000万円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。一方、杉山は「妻や息子と過ごす時間を犠牲にしてまで、いつ終わるかもわからない、長い長い裁判を、私は闘う気持ちになれない」として、国賠訴訟には加わらなかった。杉山は、2015年10月27日に死亡。心臓病を患っていた。

[江川紹子 2017年1月19日]

『伊佐千尋著『舵のない船――布川事件の不正義』新装版(2010・現代人文社)』『桜井昌司著『獄中詩集 壁のうた』(2011・高文研)』『井手洋子著『ショージとタカオ』(2012・文芸春秋)』『佐野洋著『檻の中の詩』増補版(双葉文庫)』

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知恵蔵 「布川事件」の解説

布川事件

茨城県利根町布川で1967年8月、大工の男性(当時62歳)が自宅で殺された。茨城県警は80人体制で捜査を進め4名を別件で逮捕したが、事件に関与した証拠は得られなかった。捜査が手詰まりになる中、県警は桜井昌司さんと杉山卓男さんを別件逮捕。警察の留置場(代用監獄)での長時間に及ぶ取り調べの末、虚偽の「自白」を引き出し、検察は物証がないまま起訴した。
公判で桜井さんらは無実を訴えたが、70年、一審で無期懲役判決を受け、78年、最高裁で確定した。弁護側による第1次再審請求は認められなかったが、2001年、第2次再審請求を申し立て、05年、水戸地裁土浦支部が再審開始を決定。検察は争ったが、09年12月15日の最高裁決定で再審開始が決まった。
有罪から無罪へ司法判断が変わった決め手は、有罪確定後に検察が開示した証拠だった。それは、(1)近所の女性の目撃証言、(2)残された毛髪が2人のものではないという鑑定書、(3)取り調べの録音テープ。検察は無罪を示唆する証拠を隠したまま、桜井さんらを起訴していたことになる。
弁護側の鑑定で、録音テープにも編集の跡があることが分かり、高裁決定は「自白は取調官の誘導をうかがわせる」と指摘。当初は容疑を否認していた2人を、警察から独立して運営される拘置所から、警察署内の留置場に逆送して「自白」を得た経緯も、高裁は「虚偽の自白を誘発しやすい環境に置いた」と批判した。
同じく昨年、再審が始まった足利事件でも、無実の人に「私がやった」と言わせた警察での取調べが批判されている。布川事件、足利事件で再審を求めてきた日本弁護士連合会は、「虚偽自白を生み出し、不法な取調べの温床となっている代用監獄の廃止、取調べの可視化、検察官手持ち証拠の全面開示など、冤罪を防止するための制度改革」を訴えており、両事件の再審は、民主党の公約にも入っている「取調べ可視化」への流れを加速しそうだ。また、警察情報に依拠し、無実の人を犯人扱いした報道の在り方も、マスコミ内外で問い直されている。

(北健一  ジャーナリスト / 2010年)

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