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常磐津文字兵衛 ときわづもじべえ

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世界大百科事典 第2版の解説

ときわづもじべえ【常磐津文字兵衛】

常磐津節三味線方。(1)初世(1839‐1906∥天保10‐明治39) 本名富坂文字兵衛。越後の鍛冶職人の子。常磐津文字八に師事,八十太夫と名のるが,のち三味線弾きとなり八十松と改名。岸沢派分裂ののち1862年(文久2)9月文字兵衛と改名,中村座で文左衛門の脇を勤めたのち立三味線として活躍,晩年文佐と改名。(2)2世(1857‐1924∥安政4‐大正13) 本名鈴木金太郎。初世門弟。初世文字助の子で初名八百八,初世没後2世襲名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

常磐津文字兵衛
ときわずもじべえ

常磐津節三味線方。[林喜代弘・守谷幸則]

初世

(1839―1905)本名富坂文字兵衛。初めは太夫で八十(やそ)太夫。のち三味線に転じ八十松。1860年(万延1)常磐津から三味線方の岸沢が分離し、常磐津姓の三味線方ができることになり、62年(文久2)9月文字兵衛と改名し、翌年立(たて)三味線となる。晩年は文佐(ぶんさ)と改めた。[林喜代弘・守谷幸則]

2世

(1857―1924)本名鈴木金太郎。初世文字助の子で、初名八百八(やおはち)、のち2世を継ぐ。常磐津・岸沢両派の和睦(わぼく)の間は岸沢文字兵衛と名のった。1916年(大正5)長男に3世を譲り、隠居して松寿斎(しょうじゅさい)と号した。名手とうたわれ、林中(りんちゅう)、6世文字太夫、3世松尾太夫の三味線を弾いた。坪内逍遙(つぼうちしょうよう)作詞の『お夏狂乱』を作曲、現代に残る名曲とされる。[林喜代弘・守谷幸則]

3世

(1888―1960)本名鈴木広太郎(ひろたろう)。2世の子。八百八から父の改名のときに3世を襲名。松尾太夫、千東勢(ちとせ)太夫の三味線を弾く。1953年(昭和28)芸術院会員、55年重要無形文化財保持者に認定された。60年4月文字翁と改名したが、同年8月没。『椀久色神送(わんきゅういろがみおくり)』『独楽(こま)』『苗売』『松の名所』などのすぐれた作品がある。[林喜代弘・守谷幸則]

4世

(1927― )本名鈴木英二。3世の実子。3世が文字翁と改名した1960年(昭和35)4世を襲名。92年(平成4)重要無形文化財保持者に認定。94年芸術院会員となる。96年長男に5世を譲り、英寿(えいじゅ)と改名。[林喜代弘・守谷幸則]

5世

(1961― )本名鈴木淳雄(あつお)。4世の実子。紫弘(しこう)を名のったが、1996年(平成8)父の改名時に5世を襲名した。[林喜代弘・守谷幸則]

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世界大百科事典内の常磐津文字兵衛の言及

【常磐津節】より

…通説では1857年(安政4)に大当りをした《三世相錦繡文章(さんぜそうにしきぶんしよう)》の功名争いをその原因とするが,《三世相》上演後2年は同席しているのでそれだけではなく,岸沢古式部に独立の意志があり,それがたまたま文字太夫との紛争をきっかけとして表面化したと推測される。分裂後文字太夫は2世佐々木市蔵を,小文字太夫は初世常磐津文字兵衛を三味線方とし,岸沢古式部は太夫となり6世式佐を三味線方としたが,82年7世小文字太夫(常磐津林中)により和解が成立,その記念として《釣女》《松島》が作られている。ところが,1906年林中が死没すると両派は再度対立,7世岸沢式佐・仲助兄弟は〈新派〉を樹立した。…

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