常磐津文字兵衛(読み)ときわずもじべえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「常磐津文字兵衛」の意味・わかりやすい解説

常磐津文字兵衛
ときわずもじべえ

常磐津節三味線方

初世

(1839―1905)本名富坂文字兵衛。初めは太夫(たゆう)で八十(やそ)太夫。のち三味線に転じ八十松。1860年(万延1)常磐津から三味線方の岸沢が分離し、常磐津姓の三味線方ができることになり、1862年(文久2)9月文字兵衛と改名し、翌年立(たて)三味線となる。晩年は文佐(ぶんさ)と改めた。

2世

(1857―1924)本名鈴木金太郎。初世文字助の子で、初名八百八(やおはち)、のち2世を継ぐ。常磐津・岸沢両派の和睦(わぼく)の間は岸沢文字兵衛と名のった。1916年(大正5)長男に3世を譲り、隠居して松寿斎(しょうじゅさい)と号した。名手とうたわれ、林中(りんちゅう)、6世文字太夫、3世松尾太夫(1875―1947)の三味線を弾いた。坪内逍遙(つぼうちしょうよう)作詞の『お夏狂乱』を作曲、現代に残る名曲とされる。

3世

(1888―1960)本名鈴木広太郎(ひろたろう)。2世の子。八百八から父の改名のときに3世を襲名。松尾太夫、千東勢(ちとせ)太夫(1916―1978)の三味線を弾く。1953年(昭和28)芸術院会員、1955年重要無形文化財保持者に認定された。1960年4月文字翁と改名したが、同年8月没。『椀久色神送(わんきゅういろがみおくり)』『独楽(こま)』『苗売』『松の名所』などの優れた作品がある。

4世

(1927―2022)本名鈴木英二。3世の実子。3世が文字翁と改名した1960年4世を襲名。1992年(平成4)重要無形文化財保持者に認定。1994年芸術院会員となる。1996年長男に5世を譲り、英寿(えいじゅ)と改名。

5世

(1961― )本名鈴木淳雄(あつお)。4世の実子。紫弘(しこう)を名のったが、1996年父の改名時に5世を襲名した。

[林喜代弘・守谷幸則]

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改訂新版 世界大百科事典 「常磐津文字兵衛」の意味・わかりやすい解説

常磐津文字兵衛 (ときわづもじべえ)

常磐津節三味線方。(1)初世(1839-1906・天保10-明治39) 本名富坂文字兵衛。越後の鍛冶職人の子。常磐津文字八に師事,八十太夫と名のるが,のち三味線弾きとなり八十松と改名。岸沢派分裂ののち1862年(文久2)9月文字兵衛と改名,中村座で文左衛門の脇を勤めたのち立三味線として活躍,晩年文佐と改名。(2)2世(1857-1924・安政4-大正13) 本名鈴木金太郎。初世門弟。初世文字助の子で初名八百八,初世没後2世襲名。岸沢派と和解後一時岸沢文字兵衛と名のる。1918年隠居,松寿斎と称する。常磐津林中,6世文字太夫,3世松尾太夫の三味線方を勤め名手と称された。《お夏狂乱》を作曲。(3)3世(1888-1960・明治21-昭和35) 2世の長男。本名広太郎。13歳で3世八百八,1918年3世襲名。60年4月文字翁と改名。三味線とともに語りにも優れ,芸術院会員で無形文化財保持者となった。代表作は《椀久色神送(わんきゆういろがみおくり)》《良寛と子守》など。(4)4世(1927(昭和2)- )3世の長男。本名英二。1941年英八郎。60年4世襲名。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「常磐津文字兵衛」の解説

常磐津 文字兵衛(初代)
トキワヅ モジベエ


職業
常磐津節三味線方

本名
富坂 文字兵衛

別名
前名=常磐津 八十太夫,常磐津 八十松,後名=常磐津 文佐(トキワズ ブンサ)

生年月日
天保10年

出生地
越後国(新潟県)

経歴
越後の鍛冶工の子として生まれる。常磐津文字八に入門し、八十太夫となる。声変わりのため太夫から三味線方に転じ、八十松を名乗る。それまでの三味線方の岸沢一門が常磐津姓から脱退して後、文久2年に常磐津文字兵衛と改名。ワキ三味線からやがて立三味線となり、6代目小文字太夫や2代目松尾太夫の三味線方として活躍した。晩年は文佐と称した。

没年月日
明治38年 1月16日 (1905年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「常磐津文字兵衛」の解説

常磐津 文字兵衛(3代目)
トキワヅ モジベエ

明治〜昭和期の常磐津節三味線方



生年
明治21(1888)年12月15日

没年
昭和35(1960)年8月6日

出生地
東京・京橋

本名
鈴木 広太郎

別名
前名=常磐津 八百八(3代目),後名=常磐津 文字翁(トキワズ モジオウ)

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(昭27年度),放送文化賞〔昭和33年〕

経歴
祖父、父、初代常磐津林中に師事し、明治33年3代目常磐津八百八、大正5年3代目文字兵衛を襲名。昭和35年文字翁と改名。常磐津派の三味線の正統的演奏家として定評があった。作品に「良寛と子守」「独楽」など。


常磐津 文字兵衛(2代目)
トキワヅ モジベエ

明治・大正期の常磐津節三味線方



生年
安政4年(1857年)

没年
大正13(1924)年10月29日

出生地
江戸

本名
鈴木 金太郎

別名
前名=常磐津 八百八(2代目),後名=常磐津 松寿斎(2代目)(トキワズ ショウズサイ)

経歴
初代常磐津文字助の子で、初代常磐津文字兵衛に入門し、2代目常磐津八百八を経て、師の没後2代目文字兵衛を襲名。代表的作曲作品に「お夏狂乱」などがある。大正7年松寿斎と改名。三味線の名手であった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常磐津文字兵衛」の解説

常磐津文字兵衛(5代) ときわず-もじべえ

1961- 昭和後期-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
昭和36年11月16日生まれ。4代常磐津文字兵衛(英二)の長男。昭和52年常磐津紫弘を襲名。平成6年東京芸大の常磐津実技担当非常勤講師。7年京都南座「身替座禅」で歌舞伎立三味線。8年父の跡をつぎ5代常磐津文字兵衛を襲名。TVコマーシャル,器楽曲,声楽曲などを数多く作曲。16年にはNPO「街角に音楽を」の理事長に就任。22年「常磐津節の歌舞伎上演における演奏及び幅広い分野での創作演奏活動」にたいし芸術院賞。東京都出身。東京芸大卒。本名は鈴木淳雄。

常磐津文字兵衛(4代) ときわず-もじべえ

1927- 昭和-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
昭和2年1月15日生まれ。常磐津節の3代常磐津文字兵衛の長男。昭和16年常磐津英八郎を名のり,35年4代を襲名。作曲も手がけ「牡丹(ぼたん)がさね」「我輩は猫である」などの作品がある。平成4年人間国宝。6年芸術院会員。8年長男の紫弘に文字兵衛の名をゆずり,栄寿と改名。26年文化功労者。東京出身。本名は鈴木英二。

常磐津文字兵衛(3代) ときわず-もじべえ

1888-1960 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治21年12月15日生まれ。常磐津節の2代常磐津文字兵衛の長男。初名は八百八(やおはち)。大正5年3代を襲名。3代常磐津松尾太夫,その子常磐津千東勢太夫らの相三味線をつとめる。作曲もおおい。後名は文字翁。昭和28年芸術院会員。30年人間国宝。昭和35年8月6日死去。71歳。東京出身。本名は鈴木広太郎。作品に「椀久色神送(わんきゅういろがみおくり)」など。

常磐津文字兵衛(初代) ときわず-もじべえ

1839-1905 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)10年生まれ。はじめ常磐津節の太夫(語り手)で常磐津八十(やそ)太夫,のち三味線方にうつり岸沢八十松。5代岸沢式佐が分離独立した際にのこり常磐津姓となり,文久2年文字兵衛と改名,翌年立三味線となる。晩年は文佐と称した。明治38年1月16日死去。67歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本名は富坂文字兵衛。

常磐津文字兵衛(2代) ときわず-もじべえ

1857-1924 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
安政4年生まれ。常磐津節の初代常磐津文字助の子。初代文字兵衛の弟子で初名は八百八(やおはち)。師の没後2代をつぐ。初代常磐津林中(りんちゅう),6代常磐津文字太夫,3代常磐津松尾太夫の相三味線をつとめ,名人といわれた。大正5年隠居し松寿斎と号した。大正13年10月29日死去。68歳。江戸出身。本名は鈴木金太郎。

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朝日日本歴史人物事典 「常磐津文字兵衛」の解説

常磐津文字兵衛(初代)

没年:明治38.1.16(1905)
生年:天保10(1839)
江戸後期から明治にかけての常磐津節の三味線方。本名富坂文字兵衛。はじめ太夫で八十太夫,のち三味線方に転じて八十松。万延1(1860)年常磐津・岸沢の分裂で常磐津姓の三味線方となり,文久2(1862)年9月文字兵衛を名乗る。翌年6代目小文字太夫の立三味線となり,その没後は2代目松尾太夫(のち初代常磐津林中)の三味線方を勤める。両派分裂時の常磐津派の新作浄瑠璃の多くは,この人の作曲であろう。晩年は文佐を名乗る。

(安田文吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常磐津文字兵衛」の意味・わかりやすい解説

常磐津文字兵衛(3世)
ときわずもじべえ[さんせい]

[生]1888
[没]1960
常磐津節の三味線方。2世常磐津文字兵衛の実子。本名鈴木広太郎。初名3世八百八。 1916年3世を襲名。3世松尾太夫,その子の三東勢太夫,千東勢太夫の立三味線を受け持った。 1953年日本芸術院会員,1955年重要無形文化財保持者に認定された。のち文字翁と改名したが,まもなく没した。

常磐津文字兵衛(4世)
ときわずもじべえ[よんせい]

[生]1927.1.15.
常磐津節の三味線方。3世常磐津文字兵衛の実子。本名鈴木英二。 1941年英八郎,1960年4世文字兵衛となる。現代邦楽や常磐津節の新曲を作曲。作品に『我輩は猫である』など。 1992年重要無形文化財保持者に認定された。 1994年日本芸術院会員。

常磐津文字兵衛(1世)
ときわずもじべえ[いっせい]

[生]天保10(1839)
[没]1906
常磐津節の三味線方。初め太夫となり,八十太夫と名のったが,のち三味線方に転向,八十松と称した。万延1 (1860) 年岸沢派が分離独立したとき,常磐津文字兵衛と改名。その後立三味線として活躍した。晩年に文佐と改めた。

常磐津文字兵衛(2世)
ときわずもじべえ[にせい]

[生]安政4(1857)
[没]1924
常磐津節の三味線方。1世常磐津文字助の実子。初名2世八百八。のち2世文字兵衛を継いだ。隠居してからは松寿斎と改名。常磐津林中,6世文字太夫,3世松尾太夫の立三味線を弾き,名人と称された。

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367日誕生日大事典 「常磐津文字兵衛」の解説

常磐津 文字兵衛(3代目) (ときわづ もじべえ)

生年月日:1888年12月15日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃三味線方
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の常磐津文字兵衛の言及

【お夏狂乱】より

…常磐津。坪内逍遥作詞,2世常磐津文字兵衛作曲。1914年9月東京帝国劇場でお夏を6世尾上梅幸,馬士を7世松本幸四郎により初演。…

【独楽】より

…作詞木村富子。作曲3世常磐津文字兵衛。振付2世花柳寿輔。…

【良寛と子守】より

…良寛を13世守田勘弥が演じた。作曲3世常磐津文字兵衛,3世常磐津松尾太夫。振付7世藤間勘十郎。…

【常磐津節】より

…通説では1857年(安政4)に大当りをした《三世相錦繡文章(さんぜそうにしきぶんしよう)》の功名争いをその原因とするが,《三世相》上演後2年は同席しているのでそれだけではなく,岸沢古式部に独立の意志があり,それがたまたま文字太夫との紛争をきっかけとして表面化したと推測される。分裂後文字太夫は2世佐々木市蔵を,小文字太夫は初世常磐津文字兵衛を三味線方とし,岸沢古式部は太夫となり6世式佐を三味線方としたが,82年7世小文字太夫(常磐津林中)により和解が成立,その記念として《釣女》《松島》が作られている。ところが,1906年林中が死没すると両派は再度対立,7世岸沢式佐・仲助兄弟は〈新派〉を樹立した。…

※「常磐津文字兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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