日本歴史地名大系 「常福院」の解説
常福院
じようふくいん
縁起によれば、推古天皇の代に円智の開基により、初め阿津摩嶽(東岳)定額寺大日坊と称したという。その後幾度かの変転があり、永禄五年(一五六二)この地に移って最勝院の眼尊を開山としたという。諸説があるが、天正一三年(一五八五)三代横内城主堤弾正が大浦(津軽)為信に討たれ、妻朝日御前が常福尼となり、草庵を結んで朝日山安養寺常福院と称したという説が信憑性が強い。常福尼を天文二三年(一五五四)
常福院
じようふくいん
常福院
じようふくいん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報