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毛越寺 もうつうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

毛越寺
もうつうじ

岩手県南部,平泉町にある天台宗の寺。山号医王山。「もうつじ」「もおつじ」ともいう。嘉祥3(850)年円仁開基藤原基衡,秀衡親子が堂舎を造営し,後鳥羽上皇勅願寺となるなど,中尊寺と並んで藤原期の東北文化の中心地となった。その後,幾度か火災にあったが再建され,明治維新後は延暦寺末寺となった。毛越寺境内附鎮守社跡は国の特別史跡。庭園(国の特別名勝)は,平安時代浄土庭園の代表的遺構である。毎年 1月に常行三昧供,舞楽の儀式を行なっている(→延年)。2011年世界遺産の文化遺産に登録。

毛越寺
もうつじ

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デジタル大辞泉の解説

もうえつ‐じ〔モウヱツ‐〕【毛越寺】

もうつうじ(毛越寺)

もうつう‐じ【毛越寺】

岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある天台宗の別格本山。山号は、医王山。嘉祥3年(850)円仁創建と伝える。長治2年(1105)藤原清衡基衡が再興したが、数度火災にあい、現在の本坊は明治32年(1899)に再建されたもの。大泉は平安時代の庭園遺構。平成23年(2011)「平泉-仏国土浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群-」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。もうつじ。もうえつじ。→平泉

もうつ‐じ【毛越寺】

もうつうじ(毛越寺)

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百科事典マイペディアの解説

毛越寺【もうつうじ】

岩手県平泉町にある天台宗の寺。〈もうつじ〉とも。本尊薬師如来。850年円仁の開基と伝える。1105年藤原基衡が再建,中尊寺比叡山を模したのに対し法成寺に比され,50余の堂塔を備えた壮大な伽藍(がらん)を形成したが,1226年および1573年に焼失
→関連項目岩手[県]延年奥州藤原氏浄土庭園世界遺産条約平泉平泉[町]

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デジタル大辞泉プラスの解説

毛越(もうつう)寺

岩手県西磐井郡平泉町にある寺院。850年創建。天台宗。本尊は薬師如来。臨池伽藍跡は国特別史跡、浄土庭園は国特別名勝に指定。「平泉 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産に登録。

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世界大百科事典 第2版の解説

もうつじ【毛越寺】

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。医王山金剛王院と号し,〈もうつうじ〉とも呼ばれる。850年(嘉祥3)円仁の開基と伝え,平安末期に藤原基衡が再興,秀衡によって完成されたという。堂塔40余宇,禅房500余宇と称され,その規模は中尊寺をしのぎ,その荘厳のみごとさは〈海内無双〉と称された。金堂は円隆寺と号し,堂額は関白藤原忠通の筆で,仏師雲慶(運慶か。ただし年代があわない)に依頼して造られた本尊の丈六薬師像を見た鳥羽法皇は,その東下をさしとめ,これを都にとどめようとしたという。

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大辞林 第三版の解説

もうつじ【毛越寺】

岩手県の平泉町にある天台宗の寺。山号、医王山。850年円仁の創建と伝えられる。一二世紀中頃、藤原基衡が堂宇を造営したがのちに焼失。現在の本坊は1899年(明治32)に地を移し復興したもの。庭園は平安時代の池泉舟遊・回遊形式の遺構を残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

毛越寺
もうつうじ

岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉(ひらいずみ)町平泉にある天台宗別格本山。寺名は「もうつじ」とも読まれていた。医王山金剛王(こんごうおう)院と号する。17院からなる一山寺院で、本堂の本尊は薬師如来(にょらい)。850年(嘉祥3)、中尊寺を開いた慈覚大師円仁(えんにん)が、都の鬼門にあたるこの地に鎮護国家祈願所として薬師如来を祀(まつ)る中堂を建立、年号をとって嘉祥(かしょう)寺としたのを開基とする。のち堀河(ほりかわ)、鳥羽(とば)両帝の勅願により藤原清衡(ふじわらのきよひら)・基衡(もとひら)が再興、鎌倉初期には堂塔40余、僧坊500余を数え、中尊寺とともに平泉文化の中心であった。1189年(文治5)藤原氏滅亡後は源頼朝(みなもとのよりとも)が武門祈願所としたというが、たびたびの火災で当時の建物は一宇も残されていない。現在境内には1989年(平成1)再建された本堂のほか常行堂、宝物館がある。基衡の再興時の礎石や遺構が残されており、境内地は特別史跡に指定されている。庭園(特別名勝)は大泉が池を中心に造園当時の配石を残しており、平安時代の典型的な浄土庭園の遺跡である。また、芭蕉(ばしょう)の「夏草やつはものどもが夢のあと」などの句碑2基がある。常行堂で古式にのっとって行われる常行三昧供(ざんまいく)、そのあと奉納される延年の舞(えんねんのまい)はいずれも国重要無形民俗文化財に指定されている。各子院には寺宝も多い。[中山清田]

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世界大百科事典内の毛越寺の言及

【阿弥陀堂】より

…求心堂平面をもつ堂は平安前期に円仁によって建立された比叡山の常行(じようぎよう)三昧堂のように中心に仏壇をおき,周囲1間通りに行道できる庇(ひさし)をめぐらし,さらに孫庇をめぐらした方五間堂の省略形から発展したとも考えられる。その左右に翼廊を付し,前面に苑池を設けた形は1053年(天喜1)に藤原頼通が造営した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)で,白河天皇の法勝寺(1077)や藤原基衡の平泉毛越(もうつ)寺(1150ころ)なども浄土になぞらえて,苑池に面する伽藍とされた。小型の方三間堂(阿弥陀堂)は全国各地に設けられ,京都法界寺阿弥陀堂は方5間に裳階(もこし)を付した発展形式をもつ。…

【平泉文化】より

…平安時代末の12世紀,奥州藤原氏代の保護のもとに,その居館のあった平泉を中心に開花した仏教文化。平泉は,その盛時には中尊寺(ちゆうそんじ),毛越寺(もうつじ),無量光院(むりようこういん)などの大寺院が甍(いらか)を並べ,日吉,白山,祇園,王子,北野天神,金峰山,今熊野,稲荷などの諸社が計画的に配置された都市であった。 中尊寺は藤原清衡(きよひら)によって1105年(長治2)に着工され,26年(大治1)3月24日に落慶供養が行われた天台系の寺院で,このときの堂宇は,供養願文によれば三間四面の檜皮葺堂1宇,三重塔3基,二階瓦葺経蔵1宇,二階鐘楼1宇というものであったが,《吾妻鏡》の文治5年(1189)9月17日条では,寺塔60余宇,禅坊300余宇といわれている。…

【民俗芸能】より

…鎌倉幕府の執権北条高時が田楽に熱中したのは有名な話だが,南北朝時代,猿楽能の人気に押されて衰退し,現在は地方寺社の祭礼などに演じられるのみになった。その余風は,いまも和歌山県の那智大社や岩手県平泉の毛越寺(もうつじ)などにうかがうことができる。(3)風流芸 風流はもと雅(みや)びやかの意であったが,平安時代には趣向を凝らした庭園や調度,衣装,山車(だし)などの造形美を賞する語となり,そうした造形美を誇示した祭りや芸能を風流の名で呼ぶようになった。…

※「毛越寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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