平生 釟三郎
ヒラオ ハチサブロウ
- 肩書
- 貴院議員(勅選),文相,枢密顧問官,日本製鉄会長
- 旧名・旧姓
- 旧姓=田中
- 生年月日
- 慶応2年5月22日(1866年)
- 出生地
- 岐阜県加納町
- 学歴
- 東京高商(現・一橋大学)〔明治23年〕卒
- 経歴
- 明治23年韓国の税関吏として朝鮮に赴任。26年神戸商校長に就任するが、翌年東京海上火災に入社。大正6年大阪支店長、専務を経て、昭和8年川崎造船社長となる。10年貴院議員に勅撰され、翌11年広田内閣に文相として入閣。その後、12年日本製鉄会長、鉄鋼連盟会長、15年大日本産業報国会会長、17年枢密顧問官などを歴任。甲南学園理事長もつとめた。
- 没年月日
- 昭和20年10月27日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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平生 釟三郎
ヒラオ ハチサブロウ
明治〜昭和期の実業家,政治家 日本製鉄会長;貴院議員(勅選);文相;枢密顧問官。
- 生年
- 慶応2年5月22日(1866年)
- 没年
- 昭和20(1945)年10月27日
- 出生地
- 岐阜県加納町
- 旧姓(旧名)
- 田中
- 学歴〔年〕
- 東京高商(現・一橋大学)〔明治23年〕卒
- 経歴
- 明治23年韓国の税関吏として朝鮮に赴任。26年神戸商校長に就任するが、翌年東京海上火災に入社。大正6年大阪支店長、専務を経て、昭和8年川崎造船社長となる。10年貴院議員に勅撰され、翌11年広田内閣に文相として入閣。その後、12年日本製鉄会長、鉄鋼連盟会長、15年大日本産業報国会会長、17年枢密顧問官などを歴任。甲南学園理事長もつとめた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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平生釟三郎
ひらおはちさぶろう
(1866―1945)
明治・大正・昭和期の実業家。美濃(みの)国(岐阜県)の加納藩士田中家に生まれ、東京高等商業学校(現一橋大学)在学中に平生家に入婿し平生姓を名のった。同校卒業後、1894年(明治27)東京海上火災保険会社に入社。同社の再建に尽力して1917年(大正6)には専務取締役にまで昇進した。同社退社後、32年(昭和7)には川崎造船所社長、37年には日本製鉄会長に就任するなど、経済界で多方面に活躍した。この間、教育、社会事業にも多大な関心を示し、甲南学園の創設を主導して、1923年には7年制の甲南高等学校を創立。そのほか甲南病院を設立するなど、社会事業も推進した。一方、36年には広田弘毅(ひろたこうき)内閣の文部大臣に就任し、また40年には大日本産業報国会会長、43年には枢密顧問官に任ぜられるなど、政治面でも活躍した。
[柴 孝夫]
『河合哲雄著『平生釟三郎』(1952・羽田書店)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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平生釟三郎
ひらおはちさぶろう
[生]慶応2(1866).5.22. 岐阜
[没]1945.11.27. 東京
実業家,政治家。東京高等商業 (のちの一橋大学) 卒業後,母校助教授などを経て,東京海上火災に入社,専務となった。甲南学園を創設し,のち同学園理事長のほか,川崎造船社長などを歴任。 1935年貴族院議員に勅選され,翌 36年広田弘毅内閣の文相に就任した。その後日本製鉄会長,鉄鋼連盟会長として実業界で活躍する一方,大日本産業報国会初代会長,翼賛会総務に就任,43年枢密顧問官に就任。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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平生釟三郎 ひらお-はちさぶろう
1866-1945 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
慶応2年5月22日生まれ。昭和8年川崎造船所社長,12年日本製鉄会長。11年広田内閣の文相,15年大日本産業報国会会長となる。貴族院議員,枢密顧問官。大正12年甲南高(現甲南大)を設立した。昭和20年11月27日死去。80歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。高等商業(現一橋大)卒。旧姓は田中。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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平生 釟三郎 (ひらお はちさぶろう)
生年月日:1866年5月22日
明治時代-昭和時代の実業家;政治家
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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