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平賀元義 ひらが もとよし

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美術人名辞典の解説

平賀元義

幕末の歌人。吉備生。名は直元・長元、号を吉備雄・石楯等、通称は丹介。神典・古学の研究をし、吉備の古社も熱心に調査した。上代への憧れをもち、人間性を率直に表現した万葉調の歌をよんだ。慶応元年(1865)歿、66才。

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デジタル大辞泉の解説

ひらが‐もとよし【平賀元義】

[1800~1865]江戸後期の国学者・歌人。岡山藩士。本姓は平尾。脱藩後、平賀と称し、中国地方を流浪。賀茂真淵に私淑し、万葉調の歌を詠んだ。家集「平賀元義歌集」など。

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百科事典マイペディアの解説

平賀元義【ひらがもとよし】

江戸末期の歌人,国学者。備前岡山藩士。33歳で藩籍を脱し,各地を遊歴。賀茂真淵に私淑,雄勁(ゆうけい)重厚な万葉調の歌をよんだ。《平賀元義歌集》がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平賀元義 ひらが-もとよし

1800-1866* 江戸時代後期の歌人。
寛政12年7月3日生まれ。備前岡山藩士。家督を弟にゆずり,藩籍をはなれ,安政4年(1857)美作(みまさか)飯岡村(岡山県柵原町)に楯之舎(たてのや)塾をひらく。賀茂真淵(まぶち)を尊敬して独特の万葉調の歌をよみ,吾妹子(わぎもこ)の語を多用して吾妹子先生とよばれた。後年「平賀元義歌集」が刊行された。慶応元年12月28日死去。66歳。本姓は平尾。名は別に直元,長元。号は吉備雄(きびお)など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

平賀元義

没年:慶応1.12.28(1866.2.13)
生年:寛政12.7.3(1800.8.22)
江戸後期の歌人,国学者。幼名猪之介,のち七蔵。通称喜左衛門。直元,長元,義元とも称す。岡山藩中老池田憲成家臣平尾新兵衛長春の子。弟に家督を譲って国学研究に没頭。天保3(1832)年の脱藩後は自由な身分となって古典籍の抄録,研究に努めた。美作飯岡に楯之舎塾を開き,国学の傍ら万葉調の和歌を門人に指導した。飲酒と好色の癖甚だしく,破滅的な人生を送った。その鮮烈な歌風は近代になって評価され,特異な人間像とともに脚光を浴びるに至る。<参考文献>湯本喜作『平賀元義研究』,羽生永明『平賀元義』

(久保田啓一)

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世界大百科事典 第2版の解説

ひらがもとよし【平賀元義】

1800‐65(寛政12‐慶応1)
江戸末期の歌人。備前国岡山藩士の子として生まれたが,家督を弟に譲り,学者として,歌人として,諸国を遊歴したりもして,奔放に生きた人物であった。歌はとくに誰かに師事することはなかったが,賀茂真淵に私淑し,独得の万葉調の歌をつくって,近代短歌に影響を与えた。〈吾妹子(わぎもこ)〉の語を多く用いたところから〈吾妹子先生〉とも呼ばれたが,尊皇の志をうたった〈ますらおぶり〉の作も多い。【佐佐木 幸綱】

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大辞林 第三版の解説

ひらがもとよし【平賀元義】

1800~1865) 江戸後期の国学者・歌人。備前岡山藩士、のち脱藩。賀茂真淵に私淑、万葉調の相聞歌を多く詠む。「吾妹子わぎもこ」という語を愛用したので、吾妹子歌人と称される。美作みまさかに楯之舎塾を開く。著「平賀元義歌集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平賀元義
ひらがもとよし

[生]寛政12(1800).7.3. 岡山
[没]慶応1(1865).12.28. 岡山
江戸時代後期の歌人,国学者。岡山藩士平尾新兵衛長春の子。号は吉備雄,楯舎など。文政3 (1820) 年致仕,天保3 (32) 年脱藩し出雲に遊び,備前,備中,美作などを放浪。独学で国学を学び,みずから本領は古学にあり和歌は余技にすぎないと称した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平賀元義
ひらがもとよし
(1800―1865)

江戸後期の歌人。弥古彦(ねこひこ)、吉備雄(きびお)、楯舎(たてのや)、備前処士と号す。寛政(かんせい)12年7月3日、岡山藩陪臣平尾長春の子として妾であった母の実家備中(びっちゅう)下道郡穂北郷陶(すえ)村(岡山県倉敷市)に生まれ、まもなく父の家に戻り嫡子となったが、21歳のとき家を弟に譲る。33歳のとき藩籍を脱し、平賀左衛門太郎元義と称して岡山を去り、死に至るまで備州(びしゅう)、播(ばん)州、作(さく)州を放浪する。49歳にして備前(びぜん)磐梨(いわなし)郡稲蒔(いなまき)の神職の娘を娶(めと)り二男を得るが、病のため困窮、門人を歴訪して糊口(ここう)をしのぐ生活を続ける。1865年(慶応1)岡山藩主から翌年正月お目見えの内命あり、黒住教顧問の地位も約され窮乏生活に終止符を打つはずであったが、12月28日上道郡大多羅(おおだら)村(岡山市東区大多羅町)路上で卒中の発作をおこし、行路病者として死んだ。66歳。若年から古学を好み賀茂真淵(かもまぶち)に私淑、磊落不羈(らいらくふき)の気性と自由奔放な生活から、傾倒する『万葉集』に迫る雄健な歌を詠んだ。「月よみの光さやけみ矛(ほこ)とりて男さびする丈夫(ますらを)のとも」。異色の相聞歌によって「吾妹子(わぎもこ)先生」とよばれた。「妹(いも)が家の板戸押開き我が入れば太刀(たち)の手上(たかみ)に花散りかかる」「五番町石橋の上に我が魔羅(まら)をたぐさにとりし吾妹子あはれ」。家集『平賀元義集』。敬神尊皇の志厚く、神道関係、郷土の地理・歴史・古社に関する著述が多い。[穴山 健]
『『校註国歌大系19』(1977・講談社) ▽平賀元義歌と書刊行会編『平賀元義歌と書』(1980・集英社)』

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