私学校(読み)シガッコウ

デジタル大辞泉 「私学校」の意味・読み・例文・類語

し‐がっこう〔‐ガクカウ〕【私学校】

私立学校私学
関左に雄視している―」〈蘆花思出の記
西郷隆盛が退官後、明治7年(1874)郷里鹿児島に創設した学校西南戦争では西郷軍の中心となった。

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精選版 日本国語大辞典 「私学校」の意味・読み・例文・類語

し‐がっこう‥ガクカウ【私学校】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 私立の学校。私学。
    1. [初出の実例]「当時此老人漢学の教授に雇はれ、近所の私学校へ通ひ居りしが」(出典:細君(1889)〈坪内逍遙〉二)
  2. [ 2 ] 西郷隆盛が退官後、鹿児島の城山青年を教育する目的で設立した学校。

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改訂新版 世界大百科事典 「私学校」の意味・わかりやすい解説

私学校 (しがっこう)

鹿児島に設立された鹿児島士族中心の学校。西郷隆盛がいわゆる征韓論で下野した後,1874年6月,旧厩跡に設立された。本校は旧近衛兵の銃隊学校と砲兵出身者による砲隊学校よりなる。前者は篠原国幹が主宰し生徒数は500~600名,後者は村田新八が監督し生徒数約200名であったという。学課は軍事のほか《春秋左氏伝》などの漢学をも講じ,また校中を数十組に分け,輪番制で日々の当直をきめ,出校は午前9時,退出は正午とされた。この本校のほか市内に分校がおかれた。これはふつう郷校を当て,小学校退出の児童をして放課後の午後2時より学科・武芸等を習わせ,夜間は地域の青少年を学ばせた。私学校の名には諸説あるが,この公立の郷校に対する称ともいう。しかしこの私学校は西郷派士族の政治的・社会的結社の様相を帯び,外城の郷校も城下の私学校と連絡をとるに至り,また県令大山綱良の積極的な援助で私学校派のメンバーが県政にも力をもち,西南戦争においては私学校派が主導勢力となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「私学校」の意味・わかりやすい解説

私学校
しがっこう

明治初年、鹿児島に設けられた士族の学校。1874年(明治7)征韓論に敗れ下野した西郷隆盛(たかもり)に従い、鹿児島出身の軍人・文官のうち辞職帰郷する者が数百名に及んだが、これらの青年に一定の方向を与え指導統御するために、旧厩(うまや)跡に創立された。篠原国幹(しのはらくにもと)監督の銃隊学校(旧近衛(このえ)歩兵500~600人)、村田新八(しんぱち)監督の砲隊学校(同砲兵約200人)があり、軍事・漢学などを講じた。また諸郷に分校も設けられた。なお広くは、賞典(しょうてん)学校(士官養成所)、吉野(よしの)開墾社(旧陸軍教導団生徒を収容)も私学校に含めて考えられる。西郷派の政治結社的性格も強く、鹿児島県令大山綱良(つなよし)の積極的な支持のもと、県内区長・戸長・警察幹部などは私学校幹部の占めるところとなった。西南戦争では、私学校派は西郷軍の中心となり、県庁全体が西郷軍の兵站(へいたん)部と化した。

原口 泉]

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百科事典マイペディア 「私学校」の意味・わかりやすい解説

私学校【しがっこう】

西郷隆盛征韓論争に敗れ下野したのち,1874年鹿児島に創立した士族中心の学校。篠原国幹の銃隊学校と村田新八の砲隊学校とからなり,城下ほか県下各地に分校をもち子弟を教育した。県令大山綱良の積極的支持を得て,経費も旧藩の積立金を用いた。のち西郷派士族の政治的・社会的結社の様相を帯び,西南戦争の際西郷軍の主導勢力となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「私学校」の意味・わかりやすい解説

私学校
しがっこう

征韓論に敗れ鹿児島に帰った西郷隆盛が,1874年6月設立した学校。銃隊学校と砲隊学校から成り,篠原国幹,村田新八がそれぞれ主宰した。鹿児島県下に 136の分校をもち,経費は,旧藩から県庁に引継がれた積立金をあて,県令大山綱良の支持のもとに士族を基盤として成立した。西南戦争の際にはその主勢力となった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「私学校」の解説

私学校
しがっこう

西郷隆盛らが1874年(明治7)6月に鹿児島に創設した私塾。73年10月の征韓論による政府分裂後,西郷に従って帰郷した士族の暴発を懸念して設立された。篠原国幹(くにもと)と村田新八がそれぞれ主宰する銃隊学校と砲隊学校からなり,市内や県内各郷に分校をおいた。県令大山綱良(つなよし)の協力により,運営には旧藩から県庁に引き継がれた資金をあて,県政も私学校党がほぼ独占して反政府勢力の最大拠点となった。77年西郷をかついで西南戦争をおこしたが,敗北して解体した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「私学校」の解説

私学校
しがっこう

征韓論に破れて帰郷した西郷隆盛が,1874年6月鹿児島に設立した学校
銃隊学校・砲隊学校からなり,県下に136分校をもった。青少年に軍事・思想教育を行い,県令大山綱良 (つなよし) も支持し,県内の区長・市長・警察官に至るまで私学校の幹部でうめ,西南戦争までの鹿児島県の県政は中央政府とは無関係に私学校党によって行われた。

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