生没年不詳。戦国時代末期から江戸前期の医家。いわゆる隠医で、伝記、所説とも不確かな部分が多い。出生地は不明だが、永正(えいしょう)年間(1504~1521)に生まれ、寛永(かんえい)年間(1624~1644)に没し、117歳または118歳の長寿であったという。知足斎、乾堂と号す。長田徳本とも書く。戦火を逃れて諸国を巡遊し、その間、甲斐(かい)国(山梨県)にもっとも長く滞留したことから甲斐徳本(かいのとくほん)ともよばれた。初め、当時盛んな後世(ごせい)家医方を学んだが、これに飽き足らず独自の医説をたて、中国後漢(ごかん)の張仲景(ちょうちゅうけい)の医説によるべきことを主張した。疾病は鬱滞(うったい)に起因し、多くは風寒によって発病すると説き、いわゆる汗・吐・下・和の治療法を唱え、作用の激しい薬を用いて病気を攻撃することを主旨とした。張仲景の『傷寒論』のなかの方則はこのとき初めて日本で行われたといえる。独自の処世訓をもち、医家の風俗矯正に熱心であった。『医之弁(いのべん)』『知足斎医鈔(いしょう)』ほかの著作がある。
[大鳥蘭三郎]
室町末期・江戸初期の医家。生年は不詳,没年は1630年(寛永7)118歳説と49年(慶安2)または52年(承応1)90余歳説があり,生国も諸説(三河,美濃,信濃,甲斐)があって定かでない。甲斐在住が最も長いとして甲斐の徳本と呼ばれた。知足斎と号し,また乾堂,茅堂ともいった。曲直瀬道三(まなせどうさん)について李朱医学を修めたとされるが,師説にとらわれず空理空論を排して経験的実証主義をつらぬき,張仲景の古医方を重視して作用の強い薬物を好んで使い古医方派の先駆者に位置づけられている。しかしその経歴は伝説的ベールにつつまれ,薬囊を頸に掛け薬籠を背負い牛にまたがって諸国を遊歴,一服18文(16文とも)の薬を売ったり施薬し,某医のすすめで大名(将軍とも)を治療したが賞賜を受けず去ったなどとされ,市井医としての奇行が伝えられる。なお,甲州ブドウ栽培法改良の先駆者とされる。《梅花無尽蔵》《徳本翁十九方》などの著書が伝えられている。
執筆者:宗田 一
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(小曾戸洋)
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…いずれも,著者の独自の見解がおもに編されている。室町時代に有名な医師として特記すべきものに,田代三喜,曲直瀬道三(まなせどうさん),永田徳本らが挙げられる。田代は,足利学校で学んだのち明に渡り,12年間とどまって,新しい医学を修得して帰った。…
※「永田徳本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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