岡山県南東部の市。2005年3月赤坂(あかさか),熊山(くまやま),山陽(さんよう),吉井(よしい)の4町が合体して成立した。人口4万3458(2010)。
赤磐市中部の旧町。旧赤磐郡所属。人口5246(2000)。旭川と吉井川の間に位置し,町域は吉備高原の隆起準平原が広く占め,南部の砂川流域に盆地が開ける。中心集落の町苅田(まちかんだ)は砂川の谷口集落で旧赤坂郡の中心である。付近はかつて〈赤坂白木綿〉で知られた綿花の産地であり,町苅田から南の旧西山高陽(旧山陽町)にかけてはかつての鳥取荘,軽部荘の地で条里制遺構が残る。農業が町の基幹産業で,酒米の〈雄町米〉や桃,ブドウが生産される。岩神神社にはゆるぎ岩がある。
赤磐市南東部の旧町。旧赤磐郡所属。人口8477(2000)。吉備高原を南流する吉井川の中流域に位置し,川沿いに谷底平野が開ける。旧山陽道の要衝にあたり,中心集落の松木は古代の宿駅が置かれた地である。農業が基幹産業で,米作を中心に桃,ブドウ,イチゴの栽培,果樹苗木の生産が行われる。JR山陽本線が通り,旧山陽町に続く西部丘陵地帯には大規模な住宅団地が造成されて,岡山市のベッドタウンとなっている。熊山の頂上には割石を3段に積んだ熊山遺跡(史)がある。
赤磐市南部の旧町。旧赤磐郡所属。人口2万4604(2000)。吉備高原縁辺の砂川盆地に開けた町で,盆地を流れる砂川が天井川をなすため,灌漑用の溜池がいたるところにみられる。古くから開けた地で,県下第3位の規模をもつ前方後円墳両宮山(りようぐうざん)古墳などの古墳が多く,備前国分寺跡や条里制の遺構も残る。かつては米作や桃,ブドウの栽培を中心とする純農村地域であったが,岡山市の北に接するため大規模な住宅団地造成が行われ,1970-80年の10年間で人口は倍増し,その後も増加している。食料品や農機具などの工場もある。山陽自動車道のインターチェンジがある。
赤磐市北部の旧町。旧赤磐郡所属。人口5486(2000)。吉井川の中流西岸に位置し,吉備高原の一角を占める。戦国時代から近世を通じて備前,美作(みまさか)の国境沿いの要衝の地であった。中心集落の周匝(すさい)は吉井川と吉野川の合流点にある旧河港で,吉井川の舟運は昭和初期まで柵原(やなはら)鉱山の鉱石運搬に利用された。1931年同和鉱業片山鉄道がこれに代わったが,91年の鉱山の閉山に伴い,鉄道も廃止された。南部を十町断層谷が東西に走り,谷沿いに岡山市に至る県道が通じる。農業が基幹産業で,米作やタバコ栽培,野菜の抑制栽培が行われる。稲蒔(いなまき)は全国一の筆軸生産地として知られる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岡山県南東部にある市。2005年(平成17)赤磐郡の山陽、赤坂、熊山(くまやま)、吉井の4町が合併して市制施行。市域は、岡山平野の北東部から吉備(きび)高原にわたって広がり、中央部を砂川が貫流し、南東部と北東部を吉井川が流れる。古くから開けた地域で、市内には両宮山(りょうぐうざん)古墳、高塚古墳など多くの遺跡が残る。また、奈良時代には備前(びぜん)国分寺が建てられ、備前国の中心地でもあった。JR山陽本線、国道374号、484号、山陽自動車道が通じ、山陽インターチェンジが設置されている。美作(みまさか)岡山道路の熊山および吉井インターチェンジがある。
清水白桃などのモモ栽培が盛んで、可真(かま)地区は岡山県のモモ栽培発祥地である。第二次世界大戦後はピオーネなどのブドウ栽培が拡大している。そのほか、米作や黒大豆の産地としても知られる。県農林水産総合センター農業研究所、農業大学校などもある。豊富な農産物を原料とする食品工業が盛んで、工業団地も造成されている。岡山市に隣接し、市の南部では岡山ネオポリス、山陽団地などの大規模な住宅団地が建造され、ベッドタウン化が進行している。両宮山古墳、備前国分寺跡は国の史跡に指定されている。面積は209.36平方キロメートル、人口4万2661(2020)。
[編集部]
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