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徳大寺実則 とくだいじ さねつね

美術人名辞典の解説

徳大寺実則

公爵。明治天皇侍従長。右大臣公純の長子。公爵西園寺公望・男爵先代住友吉佐藤衛門の兄。権中納言、権大納言を経て宮内省に出仕、天皇の側近に奉仕し侍従長の重職に預かる。ついで華族局長・爵位局長、内大臣を務める。大正8年(1919)歿、81才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳大寺実則 とくだいじ-さねつね

1840*-1919 幕末-大正時代の公卿(くぎょう),華族。
天保(てんぽう)10年12月6日生まれ。徳大寺公純(きんいと)の長男。西園寺公望(さいおんじ-きんもち)の兄。国事御用掛,議奏にすすむが尊攘(そんじょう)派として活動し,文久3年罷免される。維新後宮内省に出仕し,明治天皇の侍従長をながくつとめた。明治24年内大臣。貴族院議員。公爵。大正8年6月4日死去。81歳。名は「さねのり」ともよむ。

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世界大百科事典 第2版の解説

とくだいじさねのり【徳大寺実則】

1839‐1919(天保10‐大正8)
明治天皇の侍従長。右大臣公純(きんいと)の長男に生まれる。西園寺公望は弟。1862年(文久2)権中納言となり,国事御用掛を命ぜられる。公卿内の尊王攘夷派に属する。68年(明治1)維新政府により参与,議定職,内国事務総督となる。70年長州藩諸隊脱隊騒動にあたり宣撫使として赴く。翌年宮内省に出仕,侍従長となり,さらに宮内卿を兼任。77年侍従長の廃職により一等侍補となったが,まもなく復活した侍従長の職につく。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳大寺実則
とくだいじさねのり

[生]天保10(1839).12.6. 京都
[没]1919.6.4. 東京
明治天皇の侍従長。右大臣公純の長子。西園寺公望の実兄。文久2 (1862) 年権中納言に進み国事御用掛をつとめ,翌年議奏に任じられ,攘夷派公卿の一人として活躍したが,文久三年八月十八日の政変免官,謹慎を命じられた。慶応3 (67) 年1月ほかの公卿とともに大赦,復帰した。明治新政府成立とともに参与,次いで議定に任じられ,内国事務総督を兼ねた。明治3 (70) 年2月山口藩兵隊騒擾事件では宣撫使として派遣され,翌年宮内省に出仕し,同8月侍従長,一時宮内卿を兼ね,次いで内大臣となったが,終始明治天皇の側近にあった。公爵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳大寺実則
とくだいじさねのり
(1839―1919)

明治天皇の侍従長。天保(てんぽう)10年12月6日、右大臣徳大寺公純(きんいと)の長男に生まれる。西園寺公望(さいおんじきんもち)の兄。1862年(文久2)権中納言(ごんちゅうなごん)、国事御用掛となり、翌1863年議奏に進んだが、尊攘(そんじょう)派として活動したために、同年八月十八日の政変によって罷免された。王政復古後の1868年(明治1)新政府の参与、ついで議定となり、内国事務総督などを兼任。1870年の山口藩脱隊騒動の際には宣撫使(せんぶし)として出張した。1871年宮内省に入って侍従長となり、それ以後、一時期(1877年8月~1884年3月)を除いて、明治天皇の死去までその職にあった。この間、宮内卿(くないきょう)、華族局長、内大臣などを兼任。1911年(明治44)公爵となった。大正8年6月4日死去。[大日方純夫]

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世界大百科事典内の徳大寺実則の言及

【皇室財産】より

…天皇を頂点とする国家機構が整備されてくるのにともない,明治政府は皇室の経済的基礎を確立する必要に迫られた。1876年木戸孝允の建言をはじめ,79年には宮内卿徳大寺実則が官有林の一部を皇室財産に編入すべき提議をおこなったが,その動きが本格化したのは自由民権運動の高揚した81年ころである。すなわち81年10月国会開設の詔を機に民権運動が高揚すると,憲法実施前に皇室財産を設定せよとの建議があいついだ。…

【徳大寺家】より

…藤原氏北家閑院流の権大納言公実の男左大臣実能を始祖とする堂上公家。閑院流は歴代の子女が天皇の後宮に入っている。たとえば公成の女茂子は後三条天皇の女御となって白河天皇を生み,実季の女茨(苡)子が堀河天皇の妃となって鳥羽天皇を生み,公実の女璋子は鳥羽天皇の皇后になって,崇徳・後白河両天皇を生んでいる。特に院政を行った白河・鳥羽・後白河3上皇がすべてこの流からでているので,院政期に勢力があり,公実の3子,すなわち実行が三条家を,通季が西園寺家を,実能が徳大寺家を起こし,いずれも摂関家につぐ清華という家格となった。…

※「徳大寺実則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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