(大石学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸中期の大名。第3代尾張藩主徳川綱誠(つななり)の子。幼名は万五郎,求馬,のち通春と名のる。1729年(享保14)奥州梁川3万石を拝領,翌年6代尾張藩主継友の死去にともない,兄継友の養子として第7代藩主となる。31年に8代将軍徳川吉宗の諱(いみな)の1字をもらい宗春と改名,32年権中納言に任じられる。39年(元文4)にいたり幕府から隠退,蟄居(ちつきよ)を命じられたが,その理由を《徳川実紀》は,〈身の行ひただしからず〉〈かつ国の政ととのはず〉〈かくては国務に任じがた〉いと,あたかも宗春の個人的な資質に問題があるかのように記している。しかし本当の理由は吉宗を中心に幕府が推し進めている享保改革に,宗春がまっこうから対立するような政策をとったことにあり,幕府の倹約令を批判し,士庶の遊興にも寛大であったことなどが幕府の忌諱に触れたのである。著書に《温知政要》。
執筆者:斎藤 洋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…寛文(1661‐73)から元禄(1688‐1704)にかけて街区は特に南方熱田方面に延びた。1730年(享保15)自由な気風の徳川宗春が藩主となり,芝居小屋を建て,商工業を振興するなど,積極的な経済成長政策の結果,三都に次ぐ有数の大都市に発展し,芸所として知られるようになった。大商人の出現に地元でほとんどの商品が間に合い,京仕入れが激減し,〈名古屋の繁華で京がさめた〉との巷(ちまた)の声もあった。…
※「徳川宗春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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