徳本(読み)とくほん

精選版 日本国語大辞典 「徳本」の意味・読み・例文・類語

とく‐ほん【徳本】

  1. [ 1 ] ( 「本」は因、または根の意 ) 仏語。結果としてすぐれた果をもたらす善根功徳のこと。また、功徳の本となる善法のこと。真宗では特に阿彌陀仏の名号をいう。善本。〔伝教大師消息(824‐831頃)〕 〔無量寿経‐上〕
  2. [ 2 ] 江戸中・後期浄土宗の僧。号は名蓮。社号誉称阿。通称徳本行者。紀伊国(和歌山県)の人。二七歳で出家、徳のほまれ高く、増上寺の典海に招かれて小石川一行院の中興開山となる。著に「勧誡」「粉引歌」など。宝暦八~文政元年(一七五八‐一八一八

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改訂新版 世界大百科事典 「徳本」の意味・わかりやすい解説

徳本 (とくほん)
生没年:1758-1818(宝暦8-文政1)

江戸中期の浄土宗の代表的な念仏行者。紀伊国(和歌山県)日高郡志賀村に生まれた。幼年より念仏に親しみ,1784年(天明4)27歳で往生寺(現,御坊市)の大円について出家した。別時念仏,不断念仏など念仏の行を積み,文字を習わずして仏道の奥旨をきわめたという。紀州藩主の招きに応じ有田山に庵居したが,摂津河内に行脚して念仏を広め,衆庶帰依をうけた。1803年(享和3)46歳のとき,京都の鹿ヶ谷法然院で,それまでの長髪長爪の異相を改め,除髪した。また同年江戸に行き,小石川伝通院智厳から宗脈・戒脈を相承した。05年(文化2)近江日野平子の澄禅庵に入り,翌年越前大原山妙華谷に移り,11年紀州藩主の招請で同国内を教化した。14年江戸に向かい,東国巡化ののち江戸に帰り,推されて小石川一行院の中興開山となった。独得の書体による名号碑が各地に多く残されている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳本」の解説

徳本(1) とくほん

1758-1818 江戸時代中期-後期の僧。
宝暦8年6月22日生まれ。浄土宗。27歳で出家し,木食(もくじき)と念仏の修行をかさねる。享和3年江戸に出,小石川伝通院の智厳(ちごん)の法をうける。各地を念仏教化してあるく。文化11年江戸の小石川一行院(いちぎょういん)を再興した。文政元年10月6日死去。61歳。紀伊(きい)日高郡(和歌山県)出身。俗姓は田伏。号は名蓮社号誉称阿。著作に「徳本行者語」。

徳本(2) とくほん

永田徳本(ながた-とくほん)

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普及版 字通 「徳本」の読み・字形・画数・意味

【徳本】とくほん

孝行

字通「徳」の項目を見る

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367日誕生日大事典 「徳本」の解説

徳本 (とくほん)

生年月日:1758年6月22日
江戸時代後期の浄土宗の僧
1818年没

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