新河岸(読み)しんがし

日本歴史地名大系 「新河岸」の解説

新河岸
しんがし

[現在地名]玉村町五料

からす川筋の河岸で、川井かわい河岸の下流利根川(三分川)との合流点付近にあり、佐渡奉行街道の烏川渡河点。烏川対岸は八町河原はつちようがわら(現埼玉県児玉郡上里町)。天明三年(一七八三)浅間焼け泥流埋没、同六年の洪水では川欠けとなり、西に二〇〇メートルほど移転した。新河岸の名は川井河岸に対するものという。寛永(一六二四―四四)初年に前橋藩主酒井忠世によって設置されたといわれ、慶安三年(一六五〇)のかかり船荷物詫手形写(須賀文書)に名がみえる。元禄三年(一六九〇)の幕府廻米津出河岸之道法并運賃書付(徳川禁令考)では川井河岸と連名で記され、当河岸は北毛から利根川の両岸に沿って陸送される物資の舟積河岸の性格をもった。


新河岸
しんかし

[現在地名]水戸市城東じようとう二丁目

那珂川の右岸にあり、東は立浪たつなみ町、南は石垣いしがき川下流のくずれ橋を境としてさんノ町。山九郎さんくろう河岸・しま河岸ともいう。「水府地名考」に「三方川筋有りて、嶋の如くなる故、斯は称せるなるへし」とあり、「古図を見るにくづれ橋より今紋兵衛河岸辺迄、諸士の宅地八軒あり、元禄の比より河岸となりしならん」と記す。元禄三年(一六九〇)崩橋より羽太半左衛門裏通りまでを「新河岸」と定めた。

新編常陸国誌」には「後ニハ佐野氏〔勘兵衛〕一戸ノミ、此処ニ存シ、余ハ皆細谷ノ郷地ニシテ、柯トナリ、或ハ商賈ノ居住トナル、佐野氏ノ宅地ハ、モト細谷村ノ人入野某始テ河岸ヲ設ケシ所ト云フ、其東ヲ中河岸ト云フ、初赤沼ノ人江幡善左衛門、此処ニ柯ヲ設ケテ、江幡河岸或ハ赤沼河岸トモ云フ、後本五町目ノ商人石田庄兵衛之ニ代ル、因テ石田河岸トモ云、中河岸ノ名ハ、山九郎、清三郎二河岸ノ中間ニアルヲ以テナリ、清三郎河岸ハ、慶安年間、村山清三郎ノ開キシ所ナリ、其東ニ紋兵衛河岸アリ、又紋左衛門河岸トモ云、松延紋左衛門ノ創立セシ所ナリ、其南ヲ鉄炮場ト称ス、モト炮術ヲ此所ニ講ゼシ故ナリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新河岸の言及

【水運】より

…利根川中流の八町河岸や権現堂河岸は幕府代官の手によって年貢米輸送のために取り立てられた。関東では,年貢米輸送を最大の契機として開発された水運路と輸送機構である河岸は,1690年(元禄3)に幕府の統一的な吟味を受けて一応の完成をみるが,同時に水運は年貢米輸送ばかりでなく一般商荷物輸送等も担当するようになり,既成の河岸以外の所に新河岸が発生する。既成の河岸,とくにその中心である河岸問屋は,水運の独占を望んで幕府・領主権力と結び,運上金上納を代償に新河岸・新問屋禁止の特権を獲得する。…

※「新河岸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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