宋(そう)の程頤(ていい)が唱え、朱熹(しゅき)(朱子)が継承してその倫理説の根幹となった人間の本性に関する学説。人性に関する議論は孟子(もうし)の性善説、荀子(じゅんし)の性悪説をはじめ古くから持続的に行われてきたが、仏教・道教との交渉をもちながら、宋代に至って改めて儒教倫理の確立を企図し、体用の論理や理気説によって性の分析と定義づけが行われた。程頤は、「性には不善がなく、不善があるのは才(生まれつき)で、才は気の稟受(ひんじゅ)によって賢愚の相違を生ずるが、性は理であり、理は堯舜(ぎょうしゅん)も凡人も同一である」と述べた。この「性即理」のことばは、張載(ちょうさい)の「心は性と情とを統(す)ぶ」ということばとともに朱熹の心性説の骨格をつくった。すなわち、朱熹によれば、あらゆる物は気によって形成されるが、天から理が賦与されてそこに宿っており、その理こそ人間本来の性であり(つまり性即理)、純粋至善なものである。具体的には仁義礼智(ち)などがそれで、気の阻害、気質の影響を受ける性を「気質の性」とよぶのに対して、「本然の性」「天地の性」などとよぶ。なお程朱の性即理に対して、陸九淵(りくきゅうえん)そして王守仁(おうしゅじん)(陽明)は心即理の説を提唱して思想的に対立することになる。
[大島 晃]
『島田虔次著『朱子学と陽明学』(岩波新書)』
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… 朱子学では,自力による自己救済力(本来性)を基本的には認めるものの(性善説),現実の人間の多様性やそのもつ弱さ,背理可能性などを強く考慮して,本来,先天的に固有する自力能力だけでは自己救済できないとする。そこで現実存在(心)を超えて,それを基底から支え,天の命令として万人に普遍的に内在する〈性〉を措定して,この天に支えられた〈性〉に〈心〉が随順する〈性即理〉説が主張された。王守仁の朱子学体験の挫折は朱熹の原意を正確にくみとったとはいえないが,当時の朱子学に挫折して後に大悟した彼は,朱子学は人間の本来性を抑圧し,人間が固有する自己救済能力を理解していないと強く批判し,〈吾が性おのずから足る〉と主張した。…
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