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恵州事件 けいしゅうじけんHui-zhou; Hui-chou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

恵州事件
けいしゅうじけん
Hui-zhou; Hui-chou

中国,光緒 26 (1900) 年,孫文が広東省恵州で反満革命のための武装蜂起をはかって失敗した事件。当時の中国は義和団事変によって混乱しており,興中会の孫文はこの機に乗じ三合会哥老会と結んで恵州で蜂起しようとし (→会党 ) ,フィリピン,シンガポール,ホンコン,台湾,日本を回って武器の調達に努めた。孫文の同志,鄭士良は同年 10月,予定どおりアモイへ進撃したが,日本で調達するはずであった武器は仲介者の違約,伊藤博文内閣の反対などによってついに入手できず,この蜂起は完全に失敗した。この事件を契機に孫文自身,このような外国からの武器調達に頼る方式から民衆に依拠した革命方式へと転換していった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

恵州事件
けいしゅうじけん

孫文(そんぶん/スンウェン)を首領とする革命結社興中会の清(しん)朝に対する二度目の武装蜂起(ほうき)。1900年の義和団事件を機に、広東(カントン)省恵州(けいしゅう/ホイチョウ)を中心に起こされた。中国南部の会党(秘密結社)の勢力を糾合し、日本の台湾総督などの助力を頼み、前年に孫文らが協力しながらも失敗に終わった、フィリピン独立革命で使用予定の武器弾薬の譲与を期待して、10月8日に蜂起を図ったものである。孫文は日本など各地を奔走し、鄭士良(ていしりょう)の率いる革命軍は勢いにのって勝ち進み、2万の兵力に膨れ上がったが、弾薬が欠乏して補給が待たれたものの、日本人の背徳行為で譲与された武器弾薬は使いものにならない廃物であることが判明し、また日本の内閣がかわって革命援助が禁止されたため、革命軍は同月22日解散を余儀なくされた。この事件では、孫文の委託を受けて革命軍に加わった日本人の山田良政(よしまさ)が戦死している。[野澤 豊]

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