ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恵州事件」の意味・わかりやすい解説
恵州事件
けいしゅうじけん
Hui-zhou; Hui-chou
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孫文(そんぶん/スンウェン)を首領とする革命結社興中会の清(しん)朝に対する二度目の武装蜂起(ほうき)。1900年の義和団事件を機に、広東(カントン)省恵州(けいしゅう/ホイチョウ)を中心に起こされた。中国南部の会党(秘密結社)の勢力を糾合し、日本の台湾総督などの助力を頼み、前年に孫文らが協力しながらも失敗に終わった、フィリピン独立革命で使用予定の武器弾薬の譲与を期待して、10月8日に蜂起を図ったものである。孫文は日本など各地を奔走し、鄭士良(ていしりょう)の率いる革命軍は勢いにのって勝ち進み、2万の兵力に膨れ上がったが、弾薬が欠乏して補給が待たれたものの、日本人の背徳行為で譲与された武器弾薬は使いものにならない廃物であることが判明し、また日本の内閣がかわって革命援助が禁止されたため、革命軍は同月22日解散を余儀なくされた。この事件では、孫文の委託を受けて革命軍に加わった日本人の山田良政(よしまさ)が戦死している。
[野澤 豊]