興中会(読み)こうちゅうかい

精選版 日本国語大辞典 「興中会」の意味・読み・例文・類語

こうちゅう‐かい ‥クヮイ【興中会】

中国清末の最初の革命的秘密結社。一八九四年、ハワイで孫文が、韃虜(清朝)の駆除、中華の回復、合衆政府の創立を目的とし、広東地方出身者を中心として組織したもの。二回の蜂起に失敗したのち、一九〇五年に華興会光復会と合同して中国革命同盟会に発展した。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「興中会」の意味・読み・例文・類語

こうちゅう‐かい〔‐クワイ〕【興中会】

1894年、ハワイに渡った孫文が、広東カントン出身の華僑を中心に結成した最初の革命的秘密政治結社朝の打倒、中華の回復、合衆政府の創立を目的とし、しばしば武装蜂起を試みた。1905年華興会光復会大同団結し、中国革命同盟会へと発展した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「興中会」の意味・わかりやすい解説

興中会 (こうちゅうかい)
Xīng zhōng huì

近代中国最初の民族・民主革命結社。日清戦争を契機に,孫文によって,1894年11月,ハワイで創設され,翌年香港に移された。草創期には,陳少白が孫文をよく助けた。当初は,少数の華僑に支持されたにすぎなかったが,95年(光緒21)広東で,1900年恵州で,蜂起を企て,それらの失敗にもかかわらず影響力を増していった。孫文はまた,会党哥老会,三合会を糾合して興漢会を作り,戦力強化をはかった。05年8月,宮崎滔天の斡旋で孫文と黄興の握手が実現し,興中会も,中国同盟会へと発展的解消をとげた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「興中会」の意味・わかりやすい解説

興中会【こうちゅうかい】

中国,清末の1894年に孫文がハワイで華僑(かきょう)を中心に結成した革命的秘密結社。翌年香港に本部を移し,組織を拡大,広州起義,次いで1900年恵州蜂起を試みたが,ともに失敗。1905年の中国同盟会に発展。
→関連項目華興会光復会

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「興中会」の意味・わかりやすい解説

興中会
こうちゅうかい

清(しん)末の中国で最初の近代的な秘密政治結社。1894年、日清(にっしん)戦争の初め、孫文(そんぶん/スンウェン)によりハワイで創立され、敗戦による民心激高のなかで、輔仁文社(ほじんぶんしゃ)を加え、拡大改組された。興中会宣言は、清朝の腐敗と列強の侵略による民族的危機を救うために、愛国者の一致協力を求め、入会の誓いでは清朝の打倒、民主国家の建設をうたい、のち地権の平均を加えて綱領とした。興中会は、日本、アメリカ、東南アジアなどに支部をたてていき、95年に広州蜂起(ほうき)、1900年に恵州事件などを起こしたが、失敗に終わった。やがて、留日学生の間などで革命的風潮が高まるにつれて、興中会を中心に革命的諸派が結集して、05年に中国同盟会が組織された。

[野澤 豊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「興中会」の意味・わかりやすい解説

興中会
こうちゅうかい
Xing-zhong-hui; Hsing-chung-hui

光緒 20 (1894) 年,孫文がハワイで結成した中国の革命団体。華僑や会党員がおもなメンバーであったが,その宣言には清朝打倒 (駆除韃虜,恢復中華) と共和政体樹立 (創立合衆政府) がはっきりと示されており,中国ブルジョア民主主義革命の第1歩を記すものである。同 21年,広州で最初の武装蜂起をしたが失敗,孫文は日本に亡命。同 26年,義和団事変の際にも,広東省恵州で蜂起したが失敗 (→恵州事件 ) 。以後,知識人の吸収に努めつつ,同 31年結成の中国革命同盟会の母体となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「興中会」の解説

興中会(こうちゅうかい)

清末,孫文が組織した最初の革命結社。1894年,ハワイに渡った孫文が華僑(かきょう)の同志を集めて創立。翌年帰国して組織を拡大,香港に本部を置き,5月広州奪取を計画して失敗した。1900年10月には義和団事件に乗じて恵州で挙兵して失敗,05年興中会が中心になって他の革命派を糾合して,中国同盟会が結成された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「興中会」の解説

興中会
こうちゅうかい

清末期の革命的政治結社
1894年孫文がハワイで組織(その前身は1892年結成)し,95年香港で拡大改組。広東省出身者と華僑を会員とし,会党の支持を受け,滅満興漢を唱えた。同年広州城攻撃,1900年恵州事件の2度の蜂起は失敗したが,05年に華興会・光復会と合体し,東京で中国同盟会に発展した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の興中会の言及

【会党】より

… 会党は反清の伝統をもつほとんど唯一の社会的勢力だったから,清末の革命党はそれを革命のために利用しようとした。興中会は華南の三合会,華中の哥老会のいくつかの山堂の首領と連絡して,会党と革命党の連絡組織としての興漢会を作り,さらに海外の洪門(致公堂)とも連絡した。また華興会,光復会も哥老会と結んでそれぞれ同仇会,竜華(りゆうげ)会を組織した。…

【中国国民党】より

…蔣介石亡きあとの台湾の国民党は,蔣介石の息子の蔣経国が中央委員会主席となり,ついで李登輝が同主席となった。
[国民党成立前史]
 国民党の前身は,1894年(光緒20)11月,孫文がホノルルで創立した革命団体興中会に始まる。清朝という満州族の皇帝を戴く王朝を倒し,共和政府を樹立することを目ざした興中会は,1905年,華興会,光復会など他の革命団体と連合して,東京で中国同盟会を結成,11年辛亥革命を実現する。…

※「興中会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android